元水門の下に来ました。大きいです。

銘板がありました。名称は「新日本製鐵水門」1971年(昭和46年)3月に作られています。管理者は新日本製鐵株式会社川崎製綱所。

ここで川崎大師自動車交通安全祈祷殿の入口にあった「富士製鋼株式会社発祥の地」石碑を思い出しました。川崎大師祈祷殿が作られる前、1950年(昭和25年)から富士製鐵川崎製鋼所があったのです。1970年(昭和45年)に新日本製鐵の川崎製鋼所になりました。今の風景から巨大な製鋼所があったとは、想像できません。

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この元水門が何に使われたのか不明ですが、水門の高さ23.6m、幅16.6mに、日立造船が作った鉄の扉(高さ10.25m 幅12m 重さ59トン)があったのです。59トン!

水門の内陸側には港になっていますが大型の船が出入りできる水門ではありません。ダンプカー以前の時代に製鋼所で使う石炭や鉱石を運ぶ船が出入りしていたのかもしれません。

水門から多摩川沿いにサイクリング・ロードの様なものが整備されているので大師橋の方に行ってみます。大量の消波ブロックが河原に整然と並べられています。この鉄塔、鈴木町駅の【駅ぶら】で行った川崎河港水門からも見えましたね。

筆者は紅白に塗られた鉄塔が青空バックに立っている写真が好きなのですが、特にこの鉄塔は多摩川の中に立っていてフォトジェニック。右の大師橋とのコントラストが美しい。

大師橋です。2つの塔から左右に7本ずつ計28本のワイヤーで橋桁を吊っています。橋の長さは541m。1991年(平成3年)着工、1997年(平成9年)3車線の橋が完成。その後2006年(平成18年)もう1本の橋が完成して上り線として使われています。先に完成した橋は下り線になっています。

この橋も青空に映えて美しい。

右上には首都高速神奈川1号横羽線の高速大師橋が多摩川を斜めに渡ってゆきます。

「だいしばし」と橋の名前が彫られています。

産業道路に横断歩道はなく、橋の下に通路があって下流側に出ました。

羽田の渡しの碑と「多摩川八景 多摩川の河口」の案内板がありました。

羽田の渡し。内容を写します。

地元では「六左衛門(ロクゼイモン)」の渡しと呼んだ。羽田への作業渡しであったが、川崎大師への参詣路にも利用された。1939年(昭和14年)大師橋の開通で廃止。

2008年3月 NPO法人 多摩川エコミュージアム 川崎市

文中の「作業渡し」は筆者も初めてであった言葉です。調べました。通常の渡しは主に旅人を乗せますが、「作業渡し」は生産物の出荷や対岸の田畑耕作と行き来する地元民が使った渡しのことでした。

「多摩川八景 多摩川の河口」の「この河口にみられる魚」がありました。ボラやアユ、トビハゼは何となくわかりますがマコガレイ、キチヌ(初めて聞く魚名です)が捕れる?

キチヌは不思議な魚で、最初は総てが雄、15センチを超える頃に両性期となり、その後、雌になります。世の中には知らないコトがたくさんあります。

こちら側からは首都高速神奈川1号横羽線の高速大師橋が手前に見えます。

いったん東門前駅に戻って産業道路駅に行きます。

【駅ぶら03】京浜急行135 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)