※2005年9月撮影

世間はコロナ・ウィルス感染症拡大で様々なストレスが社会の脆弱な関節部分を直撃しています。

経済問題と言わず「生命維持問題」と言った方が直截だと感じる次第です。一方で、鉄道チャンネルをご覧いただいている皆様の心を少しでも慰撫する様なことができるのか、考えてみました。

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言い換えれば、せめて家に引き籠もっている皆様の無聊(ぶりょう)を紛らわすものを探すことにしました。ソコで脈絡はありませんが、古い鉄道写真などご覧いただきながら、ボソボソと何かを呟いてみようと思います。

※2005年9月撮影

例えば、トップ画像は2005年(平成17年)北陸の駅、記憶がハッキリしていないので富山駅か高岡駅か判然としませんが、写っているのは気動車、キハ28 2119です。

1960年代に当時の国鉄は手間のかかる蒸気機関車を廃しスピードアップと居住性を改善する動力近代化(無煙化)を進めるために大量の気動車を投入しました。キハ58系はディーゼル・エンジンを2基、キハ28系は同1基を装備し、国鉄気動車では最大数の1823両が作られました。

写真撮影当時筆者は電気メーカーに在籍していました。秋口から初冬にかけて北陸、東北エリアで暖房機器のTVCMを流し、テレビ局とオンエアのバーターで集客イベントにブースをもらって実際の暖房機器を紹介するという活動を毎年行っていました。その時に撮ったカットです。

この写真は旧北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)の越中宮崎駅で国鉄419系電車。中間車両を先頭車両に改造した「食パン列車」です。これに乗りました。

※2005年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

581/583系寝台特急形電車を近郊型電車に改造した車両なので乗降口はオリジナルのまま、幅700ミリの折戸という狭さでした。奇妙に高い天井が印象に残っています。

※2005年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

これは新幹線開通前の糸魚川駅に停まる大糸線のキハ52。現在はキハ120形に置き換えられています。

※2005年9月撮影

この煉瓦造りの車庫も新幹線開通で無くなってしまいました。もう1両のキハ52形が写っています。

※2005年9月撮影

個人的には、元来がヒッキーな筆者には「家から出ない」ことは全く苦痛ではありません。そうは言っても鉄道関連のコラムを書くための写真を撮りに行くことができません。仕方無く、過去に撮った鉄道写真などを眺めています。コロナ・ウィルスが猖獗(しょうけつ)を極めている間、少し古い鉄道写真でおくつろぎください。

(写真・記事/住田至朗)