札幌市の路面電車は「市電」と呼ばれ、市民の足として活躍しています。前回はロープウェイ口停留場や電車事業所前停留場などがある「山鼻西線」を散策しました。今回は中央図書館前からすすきのまでの「山鼻線」沿線を訪れました。下町から都会へと戻る車窓をお楽しみください。

市電の礎となった馬車鉄道縁の地「石山通停留場(SC13)」

夕暮れの街を新旧の電車がすれ違う

中央図書館を出発した市電は、石山通停留場に到着します。石山通は1870年(明治3年)に東本願寺の僧たちが1年半で開削した本願寺道路(本願寺街道)を前身としています。明治初期に南区の二つの山で採石が始まり、開拓使の特命による直線の馬車道が整備されました。1910(明治43)年に石山通に札幌石材馬車鉄道が開業し、現在の市電の礎になったと言われています。

下町情緒漂う「東屯田通停留場(SC14)」

かつては繁華街として賑わっていたことも

起点となる西4丁目から14番目に停車するのが「東屯田通停留場」です。このエリアの歴史は古く、開拓使時代まで遡ります。1876年ごろ当時の札幌・山鼻地区に屯田兵が入植して山鼻兵村が拓かれました。そこには共同の井戸が設置されていましたが、使用に際して互いの家の中が丸見えになるため、井戸を埋めてその周囲の空間を約9mの道路へと造り替えたのが、現在の東屯田通と西屯田通の起源と言われています。

気さくなママが迎えてくれます

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かつては「第2の狸小路」と呼ばれるほどの賑わいを見せ、映画館や各種の金融機関もあったと言われています。今も古い町並みが残り、特売日の幟がなびくスーパーや昔ながらの喫茶店などに迎えられ、往時の賑わいが感じられます。市電で旅をする際は「都会の中のエアポケット・東屯田通」に降り立ってみてください。

藻岩山を背に市電が駆け抜ける「幌南小学校停留場(SC15)」

柏中学校前横断歩道橋から藻岩山方面を撮影
幌南横断歩道橋から幌南小学校前停留場を撮影

写真を撮るなら、ひとつ先の「幌南小学校前」で下車しましょう。この周辺には二つの歩道橋があり、「柏中学校前横断歩道橋」からは藻岩山と市電、「幌南横断歩道橋」からは都市へ向かう市電など、別アングルで狙うことができます。昼間や夕暮れ、夜など時間によって雰囲気も変わってくるので、時間帯を変えて訪れるとよいでしょう。

中島公園へ徒歩5分「中島公園通停留場」 (SC19)」

ガーナミルクチョコレートのラッピング車が入線

山鼻線は市電の中で最も長く、12停留場を有しています。「山鼻19条停留場 (SC16)」、「静修学園前停留場(SC17)」「行啓通停留場(SC18)」を通過し、中島公園に近く観光客にもよく利用されている「中島公園通停留場(SC19)」まで進みました。

明治政府が建てた唯一のホテル「豊平館」

中島公園は市民憩いの場です。総面積23.6haの敷地には、国指定の重要文化財「豊平館」や「八窓庵」、人形劇専門劇場「札幌市こども人形劇場こぐま座」、「札幌コンサートホールKitara」、「札幌市天文台」など、さまざまな文化・芸術施設が点在しています。

菖蒲池には恐ろしい都市伝説が……

毎年6月14日~16日には北海道神宮例祭(通称:札幌まつり)が開催され、たくさんの屋台やお化け屋敷などの小屋が建ち並びます。浴衣姿のカップルを多く見受けますが、公園内の菖蒲池のボートは「カップルで乗ると別れが訪れる」という都市伝説がささやかれています。

一度も改称なしの唯一の停留場「東本願寺前停留場」 (SC21)」

起点から21番目の停留場

中島公園通を出発した市電は、山鼻9条停留場 (SC20)を経て21番目の停留場「東本願寺前」に到着します。1923年に開業以来、一度も名称変更が行われていない唯一の停留場です

東本願寺へは徒歩3分

東本願寺は正式名を「真宗大谷派札幌別院 真宗大谷派」といい、明治政府から下賜された地に寺が建立され1876年に札幌別院と改められました。1870年に当時19歳だった現如上人を責任者として、随員百数十名と共に北海道の開拓、開教に着手したと伝えられていますが、寺院正面には大きなマンションがそびえ立ち、当時の面影を感じることはできません。150年後にこれほどの変貌を遂げるとは、現如上人も想像しなかったことでしょう。

鉄路は「都心線」へと続く

市電は「東本願寺前停留場」 (SC20)で大きく右に曲がり、かつての終点である「すすきの」を目指します。すすきの・狸小路・西4丁目までの3区間は「都心線」と呼ばれ、その名の通り札幌の中心部を走ります。旅の終わりはもうすぐです。残りの区間をお楽しみください。

文/写真:吉田匡和