50年の歴史に幕が引かれました【50代から始めた鉄道趣味】270

2020.05.14

※2014年3月撮影

トップ画像は、遠軽駅構内西側の転車台。1970年代までは山側に扇型の機関車庫がありました。北(右)側に1989年(平成元年)に廃止されるまで名寄本線紋別方面への線路が伸びていました。

下白滝駅(現・信号場)から9.2kmで丸瀬布駅です。1927年(昭和2年)開業。左の建物は、2000年(平成12年)に改築された駅舎。丸瀬布生涯学習館が併設されています。

左側の名所案内にある「林鉄雨宮号の走るいこいの森」には、1928年(昭和3年)に開通し1962年(昭和37年)に廃止された武利意(むりい)森林鉄道の蒸気機関車が動態保存されていて乗ることができます。丸瀬布森林公園いこいの森が公園の名称です。武利意森林鉄道は、北海道庁が開設し、最盛期の延長が80kmあったという本格的な木材運搬の鉄道でした。

※2014年3月撮影

途中の瀬戸瀬駅を撮っていませんでした。理由はわかりません。

7:52、遠軽駅に到着。全国的にも珍しい平面スイッチ・バックの駅なので駅名標の同じ方に旭川側のせとせ(瀬戸瀬駅)と北見方面のやすくに(安国駅)が表記されています。

※2014年3月撮影

これが遠軽という地名の元になった瞰望岩。地上からの高さは78m。(標高は160.8m)アイヌ語で「インカルシ=眺める」という意味で、見張り場所だった様です。1901年(明治34年)郵便局設置で当地を訪れた郵便局管理課員がこの岩にちなんで遠軽郵便局と名付けたことが始まりで、新設される官公庁や学校などもこれに倣った結果、地名として定着したのです。

※2014年3月撮影

遠軽駅はスイッチ・バックなので、これまで先頭だったキハ40-829が後側になります。行先標が「北見-遠軽」となっていて、この車両は北見駅で切り離される様です。

※2014年3月撮影

一方のキハ40-733は先頭側になりますが、行先標が「網走-遠軽」となり、この車両1両で網走まで行くことになります。

※2014年3月撮影

ホームの反対側にはキハ40-1791が停まっていました。この車両は、5年後の2019年にJR北海道の山紫水明シリーズの「紫水号」としてデビューします。

※2014年3月撮影

キハ40-1791の行先標は「遠軽-白滝」。

※2014年3月撮影

時間があったので駅前に出て遠軽駅を撮りました。駅舎の外、右側に駅そばがあるのですが閉まっていました。残念。

※2014年3月撮影

駅の跨線橋から南側を見ています。右奥に瞰望岩があります。網走駅を6時23分に出た特急「オホーツク2号」が列車交換して旭川に向けて出発しました。JR北海道になってから新造されたキハ183系1550番台です。間にも線路があります。背後にはかつて名寄本線が繋がっていました。

※2014年3月撮影

※オリジナル写真が縦だったので加工してあります

遠軽駅南側はシーサス・クロッシングがあります。

※2014年3月撮影

※オリジナル写真が縦だったので加工してあります

右側が旭川方面、左が北見方面です。

※2014年3月撮影

※オリジナル写真が縦だったので加工してあります

既に書きましたが、昭和7年(1932年)に石北本線の旭川~遠軽間が開通するまでは、旭川から北見(当時は野付牛駅)に行くには、名寄本線でオホーツク海側の興部(おこっぺ)駅に出て、中湧別駅から湧別線で遠軽駅に来るか、旭川から富良野駅、根室本線で帯広を経て池田駅から網走本線で北見駅という大回りするしか無かったのです。湧別線は遠軽駅に北から入ってきます。写真で言えば下からになります。一方、旭川からの石北本線は南から遠軽駅に入ります。写真の右側。そして北見駅方面も南に出ていくのです。これが左側。この南側からの2線が残った結果、特異な平面スイッチ・バック駅になったのです。

遠軽駅で駅弁を入手。50年にわたって販売されてきた岡村べんとう屋の「かにめし」900円。

※2014年3月撮影

フジツボと毛ガニ、白エビを除いて甲殻類はあまり好きではないのですが、これは美味しかった!残念ながらこの翌年、2015年(平成27年)3月に岡村べんとう屋は50年の歴史を閉じてしまいました。もう食べるコトができません。

※2014年3月撮影

今日の宿営地は根室、遠いです。まぁ、昔話にノンビリお付き合いください。

(写真・文/住田至朗)


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