※2014年3月撮影

トップ画像は、北見駅構内。JR貨物のDD51-1165。予定では2020年度に引退なので、もしかすると、もう見ることができないかもしれません。またJR貨物に詳しい方のブログなどでは「北海道で唯一のDD51形」という記述もありました。

遠軽駅を出た網走行は、安国駅(~8.0km)、生野駅(~3.9km)、生田原駅から常紋トンネルを抜け、まだ現役だった常紋信号場を通って、駅間15.0kmの金華駅に到着。

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※2014年3月撮影

今は信号場になってしまった金華駅で思い出すのは、鉄道アイドル伊藤桃さんの著書『桃のふわり鉄道旅』(開発社/2016)、当時鉄道チャンネルニュース546に彼女がゲスト出演した時にこの金華駅で過ごした時間を話してくれました。

ふいと下車した無人駅で次の列車を待っていた伊藤桃さんは、電灯が点かず暗くてマイナス10度の待合室(暖房無し)であまりの寒さに自らを鼓舞するために大きな声で歌を歌っていたのです。偶然、駅を見にクルマできた老夫婦が暗い待合室、大声で歌う若い女性を見て心底ビックリしたらしいのです。ちなみに金華駅の周囲、半径500m・直径1kmの円内には4世帯7人が住んでいるだけでした。(2010年国勢調査)あんまり人家の無いエリアの駅です。真っ暗な待合室に女性がいたら、そりゃ誰だって魂消(たまげ)ます。

ちなみに遠軽駅~網走駅間で半径500m圏内に一桁しか住民がいない駅は金華駅(現・信号場)のみです。1914年(大正3年)の開業時は、奔無加駅(ぽんむかえき)という奇妙な駅名(近くを流れる川の名前)でした。1951年(昭和26年)金華駅に改称。1983年(昭和58年)無人化。2016年(平成28年)駅は廃止され信号所になりました。駅近くに常紋トンネル工事殉職者追悼碑があります。

※2014年3月撮影

金華駅(現・信号場)から3.5kmで西留辺蘂駅、さらに2.0kmで留辺蘂駅。蘂は、くさかんむりの下に心を三つ書いて木、雄しべ・雌しべの「しべ」という字。滅多に眼にしない漢字です。

※2014年3月撮影

留辺蘂駅は。1912年(大正元年)開業。2016年(平成28年)無人駅(簡易委託)になりました。この駅で列車交換。キハ54-500番台。旧国鉄が分割民営化前にJR北海道用に29両作った車両です。

※2014年3月撮影

留辺蘂駅から10.9kmで相内(愛の無い ウソです あいのない)駅。思わず駅名で写真を撮っちゃいました。駅所在地の地名です。元は相ノ内と書いた様ですが。1912年(大正元年)開業。

※2014年3月撮影

2駅トバして、10:05、北見駅に到着。何故かトップ画像に登場したDD51-1165と縁があったらしくこの写真にも写ってます。というか構内にJR貨物のコンテナホームがあって特に冬期は貨物列車が発着しているのです。

※2014年3月撮影

歴史は古く、1911年(明治44年)野付牛機関庫の設置から始まりました。直後に網走本線の終着駅として開業。野付牛駅でした。1914年(大正3年)網走本線が網走駅まで延伸開業。1942年(昭和17年)市制施行で野付牛町が北見市になり、駅名も北見に改称。

停車時間が35分あるので駅舎正面。1983年(昭和58年)に駅舎は改築されています。駅そばは2007年に閉店。この時は構内にドトールがあった様に思います。個人的には、駅そばの方が1000倍嬉しいけど。

※2014年3月撮影

上川駅から乗ってきたキハ40-733。このまま網走まで乗ります。後のキハ40-829は、まだ切り離されていません。10時40分に出発です。

しかし、今さらですけど、キハ40にこのJR北海道の塗装は似合いますよね。

※2014年3月撮影

またDD51-1165が動いていました。

※2014年3月撮影

では網走に向かいます。

(写真・文/住田至朗)