エゾジカは写らない【50代から始めた鉄道趣味】276
※2014年3月撮影
トップ画像は、青春18きっぷ鉄道旅vol.11、6日目、5時半前の根室駅。町は凍っています。昨夜、コンビニで買ったおにぎりで朝食。駅そば、コンビニ、たまに駅弁という食生活です。
根室駅前に開いている飲食店は、もちろん皆無です。
※2014年3月撮影
実際は東根室駅がJR最東端ですが、無人駅です。
※2014年3月撮影
佐世保駅、この年(2014年)のクリスマス・イヴを佐世保で過ごしましたが最西端の表示には気が付かなかった・・・。
※2014年12月撮影
5:58発の根室本線(釧路~根室間は花咲線という愛称で呼ばれます)釧路行に乗ります。昨夜乗った車両が後に見えます。
今朝は、キハ54-518です。でも何と運転士さんが昨夜と同じ方で、運転席の隣で真っ暗な前方を見ていた奇妙な爺さんを覚えていました。「おはようございます、早いですねぇ」とイキナリ挨拶されちゃいました。
※2014年3月撮影
出発まで数分ですが乗客は筆者だけの様です。
※2014年3月撮影
釧路方面は吹雪で視界不良です。花咲線区間も人口希薄地帯です。2010年国勢調査の数字から、駅を中心にした半径500m・直径1kmの円内の住民が少ないのは、花咲駅(2016年廃止)が4世帯13人、初田牛駅(2019年廃止)が1世帯3人と飛び抜けています。昆布盛駅(13世帯50人)糸魚沢駅(12世帯26人)も多くはありません。
※2014年3月撮影
釧路行が出発。唯一の乗客(筆者)は、相変わらず運転席の横にへばりついています。運転士さんは、花咲線沿線を実況で解説をしてくれます。何と言う贅沢!
昨夜も高い音の「鹿笛」を鳴らして何度か急制動がかかりました。運転士さんの話も、メインはエゾジカです。「この落石駅から別当賀駅間が一番エゾジカが多い」とのこと。
※2014年3月撮影
落石(おちいし)駅は1920年(大正9年)開業ですが電灯が灯ったのは、第2次世界大戦後の1949年(昭和24年)です。30年間ランプの駅だったのです。不思議な駅名ですが駅所在地の地名。駅の東側は落石岬です。この駅の周辺人口は、半径500mの円内に21世帯69人(2010年国勢調査)。
余談ですが、大学の友人に北海道出身の男がいました。実家は、新千歳空港から近い室蘭本線の安平駅ですが「駅から死ぬほど歩く」と笑っていました。何と小学生の頃、東京オリンピック(1964年)まで家に電気が無かったそうです。だから彼は「少年ジェット」や「ナショナルキッド」を知らないのです。
落石駅から次の別当賀駅までに運転士さんが時折「ホラ」と言って「鹿笛」を鋭く鳴らします。軌道上にエゾジカは何度もいたのですが、吹雪で視界不良、写真には写せませんでした。
落石駅から10.3kmのエゾジカゾーンを過ぎて別当賀駅です。ここも車掌車の駅舎。駅名標には、2019年に廃止される初田牛駅が表記されています。ここも人口は少なく、半径500mの円内に14世帯28人です。(2010年国勢調査)
※2014年3月撮影
別当賀駅から15.6kmという駅間で厚床駅。旧標津線分岐駅と書かれています。
※2014年3月撮影
標津線は釧網本線の標茶駅から根室標津駅までの69.4kmと途中駅の中標津駅から厚床駅までの支線47.5kmの路線でしたが、人口減少などで1989年(平成元年)に全線、19駅が廃止されました。根室標津駅は、根室と冠されていますが根室まで直線距離でも60kmくらいあります。むしろ知床斜里駅の方が近いくらいです。
参考までに、日本国有鉄道旅客局発行の「荷物事務用鉄道路線図」(昭和54年11月現在)から該当する、その当時の路線図をご覧ください。
ブランド牡蠣で有名な厚岸駅でキハ40系と列車交換しました。
※2014年3月撮影
運転士さんが「これが厚岸湾だよ」と教えてくれましたが、ほとんど何も見えません。モノクロームの冬景色。
※2014年3月撮影
厚岸駅から4.9kmで門静駅。不思議な形の待合室があります。とにかく吹雪いています。
※2014年3月撮影
8:20、釧路に到着。根室から2時間22分でした。ここでまた乗継待が2時間あります。
※2014年3月撮影
駅舎はビル。駅は一階だけ、残りはJR北海道釧路支社かな。時刻は、まだ8時半。
※2014年3月撮影
足先が冷えて痛いのでコンビニでこんなモノを買いました。
※2014年3月撮影
さて10:20の根室本線新得行までヒマです。
(写真・文/住田至朗)