盲腸線留萌本線を行きます【50代から始めた鉄道趣味】316

2020.06.29

※2014年7月撮影

トップ画像は、留萌港の海鳥。残念ながら種類は分かりません。目付きが鋭いなぁ。

深川駅から34.5km、幌糠駅。ヨ3500形車掌車の駅舎があります。かつては列車交換可能な相対式ホーム2面2線に貨物用側線もあった様です。駅名標、「とうげした」が修正されているのは、2006年(平成18年)に廃止された東幌糠駅があったからです。実は「ふじやま」駅との間にも、1990年(平成2年)までは桜庭駅がありました。

※2014年7月撮影

藤山駅。古い木造駅舎の一部が残されて使われています。写真では分かり難いかもしれませんが、駅舎の右にかつての事務室だった基礎が残っています。

※2014年7月撮影

深川駅から55分、留萌駅に到着。ちょうど9時です。次の増毛行は、12:19、3時間20分も時間があります。駅名標には、2016年12月に廃止された留萌~増毛間の「せごし」(瀨越駅)が表記されています。

※2014年7月撮影

駅名標の背後は、留萌市の「船場公園」ですが、元は留萌炭田からの石炭積出港として栄えた留萌港との間に留萌鉄道と共に広大な留置線、貨物側線、転車台、さらに羽幌線ホームなどがありました。

2番線、島式ホームには跨線橋で渡ります。3番線もありますが使われていません。

※2014年7月撮影

1967年(昭和42年)に建てられた二代目駅舎、待合室に待望の駅そばがありました。これは嬉しい!

※2014年7月撮影

名物のニシンそばではなく、ゴボウ天そば+おにぎり(580円)。美味しくいただきました。

※2014年7月撮影

ウロコダンゴの女子校生諸君は「3時間20分も鉄道を待っていられない」と駅前からタクシーで海に向かいました。正解!青春は一瞬の光芒なのだよ。爺婆になってからでは遅い、今を惜しんで遊べや乙女たち。

peace

コンコースで古い留萌本線の写真が展示されていました。地元のお婆ちゃんとお爺ちゃんが数人、楽しそうに写真を見てお話しをされていました。奇妙な風体の筆者にも色々と昔のことを聞かせてくれました。炭鉱やニシン漁が盛んだった戦前、留萌の町がどれ程栄えていたか、廃止された羽幌線や深名線の話も面白かった。メモっていないのが悔やまれます。

この写真に写っている男性は、昭和29年当時の秩父別駅長さんだそうです。何人もが「そうだ、そうだ、親切な良い人だったねぇ」と人柄を懐かしんでいました。

※2014年7月撮影

確かに、留萌市の人口は、昭和40年(1965年)の40,231人をピークに、半世紀、平成27年(2015年)には22,221人(約55%)まで半減しています。しかし増毛町はさらに深刻です。昭和30年(1955年)の16,768人が、平成27年(2015年)には4,497人(約27%)と4分の1に減少しているのです。(国勢調査)

もう一度ホームに出て増毛方面を望遠レンズで写しました。橋梁が二つ並んでいますが左側は現役で増毛方面の線路、右はかつて留萌港の方につながっていた様です。工事関係の方々が見えました。

※2014年7月撮影

ホームから深川方面。この後、跨線橋に上がります。

※2014年7月撮影

望遠レンズで深川方面、左に線路が見えます。

※2014年7月撮影

跨線橋から増毛方面の橋梁を見ます。

※2014年7月撮影

深川方面。1970年代の航空写真を見ると、羽幌線はいったん駅の東、留萌川手前まで行って、方向を換えて北に向かってカーブしていました。その名残の様に見えます。

※2014年7月撮影

もう少しアップにしてみました。

※2014年7月撮影

さて、これから食後の散歩で留萌の町を歩いてみます。

※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)


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