※2014年7月撮影

トップ画像は、キハ40-1778の先頭部分のアップ。「新潟鐵工所 昭和55年」1980年製造、「JR北海道 釧路運輸車両所 平成18年改造」2006年延命改造。

浦幌駅(263世帯590人)で列車交換しました。帯広も暑かったけど、浦幌も暑い!

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※2014年7月撮影

待ち時間にホームで運転士さんと立ち話をしました。「北海道も暑いですねぇ」なんて言ったら「ここから直別までの間にある山を越えると急に釧路側の涼しい空気に換わるよ」とのこと。そりゃ楽しみだ。ちなみに「釧路は涼しいので北海道の人が避暑に行くんですよ」と言ってました。白糠丘陵を挟んで東西の気候が違うということの様です。

列車交換、上り列車はキハ40-1768です。釧路運輸車両所の兄弟車両が並んでいます。浦幌駅から根室本線はほぼ真北に進み常豊信号場辺りで東に向きを変え白糠丘陵を横断します。

※2014年7月撮影

常豊信号場です。旅客あつかいをした歴史はありませんが旧国鉄時代から通票交換用の短いホームに駅名標がある珍しい信号場。JR北海道に継承されて駅名標もJR北海道仕様に替えられています。駅名標の「かみあつない」は、2017年(平成29年)に駅が廃止され信号場になっています、常豊の駅名標も修正されているのか、まだ見ていません。

※2014年7月撮影

常豊信号場から7.5kmで上厚内駅(3世帯6人)。1910年(明治43年)信号場として開設されました。1926年(大正15年)駅に昇格。1992年(平成4年)駅は無人化。上記の様に、2017年信号場になって駅は廃止されました。

※2014年7月撮影

そのほとんどを白糠丘陵の山地が占めている浦幌町の人口減少も深刻です。1960年(昭和35年)は14,150人の住民が2015年(平成27年)には4,919人(34.8%)と約三分の一になっています。(国勢調査)

運転士さんの「涼しい空気に換わるよ」という直別駅(6世帯18人)で列車交換です。

1907年(明治40年)開業。1992年(平成4年)駅は無人化。2003年(平成15年)十勝沖地震で駅舎が倒壊。駅舎は新築されました。2019年(令和元年)駅が廃止され信号場になりました。

※2014年7月撮影

ホームに降りて涼しい風を実感しました。運転士さんも降りて来て「ね、全然違うでしょ?」と一緒に涼みました。

※2014年7月撮影

上り列車は、キハ40-1756です。

※2014年7月撮影

芽室行でした。芽室駅(899世帯2,142人)は大きな芽室町の中心にあります。人口も減少していません。1960年(昭和35年)の17,839人が2015年(平成27年)に18,484人(103.6)と微増しています。初めての人口増加にホッとしますね。

芽室は肥沃な耕作地に恵まれ小麦、ジャガイモ、小豆、トウモロコシの栽培が盛んです。豊富な野菜の収穫を活かした食品製造業も工業団地に多く立地しています。

※2014年7月撮影

直別駅から4.0kmで尺別駅(2世帯4人)。駅前は廃屋が並びほとんどゴーストタウンの様な有り様でした。かつては雄別炭礦尺別鉄道線11.0kmが尺別駅から延びていて、終点の尺別炭山駅から1941年(昭和16年)には約42万トンの石炭が積み込まれていました。その頃は尺別炭山駅周辺に数千人の集落がありました。1970年(昭和45年)炭鉱は閉山、雄別炭礦尺別鉄道線も廃止されました。尺別炭山駅周辺の数千人の住民も離散、現在は廃屋が残るゴーストタウンになっています。

※2014年7月撮影

尺別駅も、炭鉱閉山までは、炭鉱会社の社宅や国鉄官舎が並び、食料品店、旅館、パチンコ屋、郵便局などがありましたが、2010年の国勢調査では2世帯4人です。航空写真で見ても「いと凄まじき」という雰囲気です。

当然、利用者が住んでいませんから、尺別駅は2019年のダイヤ改正で駅が廃止され信号場になりました。

2014年7月30日は、尺別駅で列車交換。JR北海道キハ283系気動車特急「スーパーおおぞら」がすごいスピードで走り抜けていきました。

※2014年7月撮影

ちなみに直別駅、尺別駅、音別駅のある音別町は、かつて1万人以上いた人口が、2016年(平成28年)には1,997人と5分の1以下に減少しています。その時点で居住人口が20人以下の孤立地区が12地区(音別、尺別、直別など)、さらに無人地帯が21地区と、雄別炭礦、尺別炭鉱の閉山後は凋落の一途です。(国勢調査)

※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

※駅名の後の()内は、駅の周囲半径500mの円内に住む住民数です。(2010年国勢調査)

(写真・文/住田至朗)