白糠線 またしても悲しい物語【50代から始めた鉄道趣味】328

2020.07.11

※2014年7月撮影

トップ画像は、音別駅で列車交換するキハ40-1754+1。

白糠駅(189世帯1,363人)で列車交換しました。1901年(明治34年)開業。1983年(昭和58年)日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の特定地方交通線廃止の第1号となった白糠線が分岐していました。

※2014年7月撮影

白糠線もまた石炭産業によって命運が左右された路線でした。昭和54年11月現在という日本国有鉄道旅客局の「荷物事務用鉄道路線図」の該当部分です。左下に白糠駅があります。

白糠線沿線には、6万4千ヘクタールの森林資源、3億2千万トンの高品質な石炭が埋蔵されていて年産50万トンを目指して5箇所で採掘が行われ人口も2万3千人に達していました。1964年(昭和39年)に白糠駅から上茶路駅までが開業。雄別炭鉱の上茶路炭鉱から年間10数万トンの石炭が運ばれました。最初上茶路駅には9戸の農家があるだけでしたが、白糠線開通で一挙に250戸600人に人口も膨れ上がり商店、学校、郵便局、役場支所が作られました。

1970年(昭和45年)には上茶路~北釧路二股(工事中の仮称)間が完成しましたが、同年上茶路炭鉱は閉山、石炭輸送がなくなっていて、「赤字83線」の赤字ローカル線廃止に取り組んでいた国鉄は受け取りを拒否しました。

しかし田中角栄内閣に替わり北海道出身の佐々木秀正が運輸大臣になると白糠町長が開業を要請。開業に当たって仮称だった北釧路二股駅は更なる延伸を期待して北進駅に変更されました。

足寄(あしょろ)駅までの工事も始まりましたが、炭鉱閉山で白糠線沿線の人口は激減。自家用車の普及もあって白糠線の利用者は1969年度の年間15万2千人をピークに減り続け1979年(昭和54年)には営業係数が2,872(100円稼ぐのに2,872円かかる)という大赤字路線に転落。

1983年(昭和58年)白糠線は、開業から19年(延伸開業から11年)で全線が廃止されました。

正に一夜にして町が誕生し、短い隆盛の後、一夜にして町が亡んだのです。

白糠駅で貨物列車と列車交換。

※2014年7月撮影

白糠駅構内に工事車両が駐まっていました。象サンのマークが付いています。

※2014年7月撮影

18:02、滝川駅から8時間25分かかって釧路駅に到着。

※2014年7月撮影

乗って来たキハ40-1778は、そのまま新得行になって戻ってゆきます。

※2014年7月撮影

釧路駅はまだ明るい、18時7分。

※2014年7月撮影

これからホテルにチェックインして風呂に入ってビールの時間です。今日はシンプルに根室本線、滝川~釧路間308.4kmを乗りました。

確かに釧路は涼しいなぁ。

※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

※駅名の後の()内は、駅の周囲半径500mの円内に住む住民数です。(2010年国勢調査)

(写真・文/住田至朗)


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