「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一の生涯を描くNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まった。

吉沢亮が演じる渋沢栄一は、実業家として鉄道にも深く関わっていた。

そのひとつの例が、汽車製造という鉄道車両メーカー。1972(昭和47)年に川崎重工業に吸収されるかたちで消えた鉄道車両メーカーで、いまも汽車製造がつくった蒸気機関車やディーゼル機関車、電気機関車、電車などが各地を走っている。

渋沢栄一(しぶさわえいいち)は、もと鉄道局の技師、平岡熙(ひらおかひろし)の汽車製造業起業に協力し、益田孝(ますだたかし)らとともに匿名組合を組織。1890(明治23)年に平岡工場を開業した。

平岡熙は、汽車製造技術を学ぶべく、1871(明治4)年に16歳でアメリカへ渡り、ベースボール指導書を抱えて帰国、1878(明治11)に日本最初の野球チームを結成した人。

益田孝は、世界初の総合商社といわれる旧三井物産を設立。また日経新聞の前身といわれる中外物価新報を創刊した人として知られる。

渋沢栄一は平岡工場開業後、もと鉄道庁長官の井上勝の汽車製造業起業を援助し、創立委員として1896(明治29)年に汽車製造合資会社を設立した。

そんな汽車製造がつくった鉄道車両形式は、国鉄の蒸気機関車では8620、9600、C11、C12、C56、C57、C62、D51形のほか、各タイプ。

国鉄ディーゼル機関車は、DD13、DE10、DF50形などのほか、私鉄のディーゼル機もつくった。画像は倉賀野駅の歩道からみえたDE10形1142号機。

また、電気機関車は、ED60、EF15、EF58、EF60、EF62、EF64、EF65、EF66形などのほか、国鉄電機の各形式をいろいろと。

さらに電車は、国鉄72系・80系などの2桁台形式の電車をはじめ、国鉄101系・103系・113系・115系や、151系・181系・157系・165系・415系・485系・583系といった、通勤形・近郊形・急行形・特急形など、さまざまな形式を製造。新幹線0系もつくった。

また、営団地下鉄、都営地下鉄、大阪市営地下鉄、京王電鉄、東武鉄道、京成電鉄、京阪電鉄、阪神電鉄、南海電鉄、西日本鉄道をはじめとする、大手から中小までの鉄道車両も手がけてきた。

―――川崎重工業に吸収されるまでの76年間に、機関車約3900両、客車電車約8300両、貨車約4万5600両と、5万7800両以上の鉄道車両をつくってきた汽車製造。そこから生まれた車両たちのなかには、いまもその走りを実感できる形式もある。