【50代から鉄道趣味を復活させる方法】515
※2020年12月撮影
トップ画像は、JR西日本関西本線笠置駅、駅前に「太平記元弘の乱 笠置合戦」の群像が設置されています。知らずに暗くなってから駅を出るとけっこう吃驚します。(笑)
池口英司さんの『大人の鉄道趣味入門 人生の後半を楽しむための兵法書』(交通新聞社新書/2019)の第三章、続いては「鉄道を集める~コレクション~」。これも鉄道に限定されずに広く好まれる趣味です。
まずは「紙もの」のコレクション、切符・入場券が最もポピュラーですが、昨今は鉄道各社がファンサービスで発行する記念切符・入場券の人気が高いことはよく御存知でしょう。
また古くからあるのが絵はがきのコレクション。昭和30年代から40年代の人工的に着色された不自然な景勝地の絵はがきを懐かしく思い出します。
※2014年5月撮影
小学校の修学旅行で小生も級友たちと土産物屋で絵はがきを選びました。しかし、就職してから引っ越しが12回と多く、否応なく「断捨離」した結果、残念ながら身辺にはほとんど何も残っていません。
パンフレット類もコレクションの対象です。鉄道各社が駅などで配布している広報誌も含め、時間が経ってから見ると時代の変化が刻印されていて興味は尽きません。著者の池口さんも書いておられますが、ネット上の情報はどんどん消えてしまいますが、紙で蒐集したものは手元に残るのです。小生の様に端から捨ててしまうのは考え物ですが、自分なりの方針を立てて整理をしないと「タダの紙ゴミ」になる可能性は高いと思います。
※2020年12月撮影
そして鉄道ファンならではのコレクションが「駅スタンプ」。これも交通新聞社発行の『わたしの旅スタンプノート』などに体系的に集めないと整理が難しい物件です。小生は、鉄道旅の度に小さなノートに日記・備忘録としてメモを残します。そのノートの最後の方に「駅スタンプ」があれば押印して日付を書き込んでいますが、そのノート自体を統一して整理していないのでコレクションの体をなしていないのです。
また鉄道会社の催事などで販売される駅の備品、廃車された車両の部品なども人気のあるコレクション対象です。個人的に思い入れのある車両や駅などのモノは本人以外にはあまり価値が理解されない可能性があります。特に同居する家族の理解が大切なコトは言うまでもありません。
小生は、置く場所が無いのでそういったコレクションで埋まった鉄道趣味の居酒屋などに出かけてぼんやり眺めることしかできません。でもお酒が美味しくなります。
※2020年12月撮影
そして「紙もの」の最後が「駅弁の掛け紙」です。これも日本酒のラベルと同じ位ポピュラーな蒐集対象ですね。要は「有限」なのに「矢鱈にたくさんある」という魅力でしょうか。しかもデザインが実に千差万別多種多様。
著者池口さんは、友人たちと大勢で鉄道旅行した際に多くの「駅弁掛け紙」が入手できると喜んでいたら「全員が鉄道ファンで各自がコレクションしていて結局自分の分1枚だけだった」という笑い話を紹介されています。
東京駅の「駅弁屋 祭」の様に全国の駅弁を集めて日常的に販売している店舗もありますし、有名デパートの「駅弁大会」などでお目当ての駅弁を入手することも可能です。個人的にはローカル線の駅で偶然買った幕の内弁当などに思い出がありますね。写真は土佐くろしお鉄道中村駅で買った幕の内弁当。美味しかった!
※2015年12月撮影
第三章の最後は「鉄道を学ぶ~鉄道系博物館~」です。
やはり神田須田町にあった交通博物館が懐かしいです。写真を探しましたが、出てきません。0系新幹線のアタマの写真があるはずなのです。埼玉に引っ越した大宮の鉄道博物館には何度も行きました。門司港の九州鉄道記念館も良いですね。旧・信越本線の廃線跡に作られている「碓氷峠鉄道文化むら」も好きです。広くて、空気が気持ち良い博物館が多いです。
※2018年12月撮影
第三章の締め括りは「鉄道を発信する~インター・ネットとSNS~」です。著者池口さんはパソコン通信から話をスタートしています。が小生はパソコン通信には無縁でした。
務めていた映像制作会社が1990年代前半には、社員のデスクに1台ずつMac(LC 520だったなぁ)を置いて社内ネットワークを構築していたのです。小生もMacを買って自宅でインター・ネットを始めたのが1995年、MacのCPUがPOWER Macintoshになった頃でした。でも当時のMacは高価でしたね。モニターを大型(SONYの21吋CRT 約30万円)にしたら25年前でも100万円くらいかかりました。Macに積むメモリーも高価で、SIMMメモリーだけでも30万円くらいしたんじゃないかな。
今は 昔。
※2018年12月撮影
当時は電話回線でインター・ネットに繋いでいました。電話代が半端ないので”テレホーダイ”という23時から翌朝8時までいくら使っても定額というサービスが始まりました。でも、その時間帯は繋がり難かったなぁ・・・。オマケに寝不足が続いたモンでした。まだ40代になるかならない頃で爺にも体力があったのですよ。
それまで墨で消された輸入”PLAY BOY”しか見たこと無かったのですから・・・(以下自粛)
幾星霜。(笑)
この頃の話になると長くなります。聞きたい方は居酒屋にご一緒しませう。
長い話しは割愛して次回は第四章に進みます。
(写真・文/住田至朗)