約100年前、日本に“サラリーマン”という働き方が生まれた。

日本も働き方も目まぐるしく変わっていって、

たまには無茶もしたけれど、

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その時々の価値観で精一杯働いた。

そしてまた、新しい当たり前が生まれていく。

時代が変われば、当たり前は変わる。

次は、どんな時代だろう?

―――そんなメッセージを、モトクロス斉藤のピクセルアートと、HIMIの音楽でつづる、ぐっとくるムービーが公開された。

手がけたのは、クラウド人事労務ソフト「SmartHR」を運営する SmartHR 。

日本社会に“サラリーマン”という働き方が誕生してから100年。戦前から戦後、そして現代にわたる日本の働き方の移り変わりを2分間でたどりながら、これまでと、これからの“働く”を考える SmartHR のブランドムービー。

その名も『“働く”の100年史 100 YEARS of WORK in JAPAN』。

監督は独自の発想で印象的な作品を生み出す映像作家・映像ディレクター大月壮、監修は近代日本の労働史に造詣が深く「サラリーマン誕生物語」などの著書もある早稲田大学 原克教授、イラストは気鋭のピクセルアニメーション作品で話題のモトクロス斉藤、音楽は浅野忠信・Charaの息子でミュージシャン・俳優の HIMI。

鉄道は高度経済成長期を映す舞台だった

このムービーには、新幹線0系と思われる車内のようすと、103系が走る時代の中央線 新宿駅ホームが描かれている。

新宿駅に入ってきたオレンジ色の103系は、屋根上をみると集中式クーラーも載ってないうえに、押し屋(おしや)と呼ばれる駅係員の姿も。

押し屋は、鉄道の朝夕のラッシュ時に、電車のドアにはさまりかかった乗客や荷物を、車内に押し込む係。

高度経済成長期のワンシーンを映すひとこまで、新幹線0系や押し屋がいるラッシュ時の画は、象徴的な光景だった。

そして、この新幹線0系と思しき車内の絵と、新宿駅の押し屋がいる風景には、共通する人がいる。

それは、喫煙者。当時は、新幹線車内も駅ホームでもタバコが吸える時代だった。

―――ということで、最後は、このムービーが映し出すその時代のシーンを、年代別にみていこう。

1920年代

事務職が増加し、“サラリーマン”という働き方の原型が誕生。男性はシャツなどの洋装だが、女性は和装である点が印象的。

1930年代

当時は電話の発信者と受信者の回線を電話交換手が手動でつなぎ、通話をしていた。

1940年代

当時は太平洋戦争中。丸の内・銀座などの都市部ではスーツやワンピース、国民服などさまざまなスタイルで会社に向かう通勤者の姿が見られた。

1950年代

高度経済成長期のはじまりの時期。日本が好景気に沸いた背景には扇風機の下で汗だくで働く社員の姿があった。

1960年代

高度経済成長期がピークを迎える中、新幹線が開通。東京〜大阪の日帰り出張が可能になった。“サラリーマン”の都会と地方の行き来がはじまった。

1970年代

戦後の復興から経済成長が進む過程で東京に住む人は激増。朝の通勤電車ではラッシュが見られ、乗車率300%を超える路線もあった。

1980年代

朝から晩まで熱血に働く姿から「モーレツ社員」という言葉が誕生。夜になると“サラリーマン”たちは積極的に街へ繰り出し、「飲みニケーション」が流行語に。

1990年代

徐々に デジタル化が進み、連絡手段は公衆電話からメッセージの送受信を行うポケベルでのやりとりが主流に。

2000年代

ブラック企業や過労死が社会問題に。会社員としての生き方だけではないという風潮から、場所にとらわれないノマドワーカーが出現した。

2010年代

スマートフォンで仕事の連絡をする時代に。副業解禁や働き方改革関連法など自分にあった働き方が模索されるように。

2020年代

コロナ禍という危機に直面し、働き方が急激な変化をむかえた。ペーパーレス化やテレワーク導入も進み、場所や時間の制約が少ない新たな働き方が広がりつつある。

―――SmartHR は、煩雑で時間のかかる労務手続きと管理から経営者・人事・労務担当者・従業員を解放し、“本当に必要な仕事”に集中できる時間をつくることで、企業の生産性向上を後押ししていくという。