※2020年9月撮影

トップ画像は、東北本線鶯谷駅南口。鶯谷駅は、線路名称上は東北本線1路線だけですが、京浜東北線、山手線のみが停車するという不思議な駅になっています。

南口駅前はタクシー乗り場になっています。右下はJR線。東北本線、高崎線、宇都宮線、常磐線、京浜東北線、山手線、その地下を新幹線が走っています。

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※2020年9月撮影

駅の横にはコンビニエンスストア。

※2020年9月撮影

鶯谷駅は、1912年(明治45年)鐵道院東北本線の駅として開業。しかし実際に開設されたホームは山手線のみの発着でした。1925年(大正14年)山手線の線路を使って京浜線も乗入れ開始。1928年(昭和3年)京浜線は赤羽駅まで延伸され京浜東北線になります。

現在の南口駅舎は昭和初期に線路の上に高架の土台を作りそこに建てられました。駅の南西(山)側は寛永寺の墓地、そこには徳川将軍家霊廟があるので霊廟を移動させて駅を作ることができなかったのです。

1956年(昭和31年)山手線と京浜東北線で使用していた複線が複々線化されホームも2面になります。国鉄分割民営化でJR東日本の駅になりました。2017年(平成29年)業務委託駅になりました。2019年(令和元年)北口無人化。

※2020年9月撮影

不思議なのは駅名。鶯谷駅の周辺に鶯谷という地名は存在しないのです。

江戸時代元禄年間に上野寛永寺の門主がこの地に鶯を放ったことが「新編武蔵風土記稿」に記されているそうです。京都の宮廷貴族などの間では、平安時代から飼っている鶯に美しい声で啼かせるために美声の鶯を放つ習慣がありました。寛永寺門主は皇族が京都から下向して務めることが慣例なのです。

このことが駅名の遠因になったという説がある様ですが詳細はわかりません。

※2020年9月撮影

鶯谷駅南口駅舎は、山手線・京浜東北線の線路の上に作られた高架台の上に建てられています。今から90年も前に作られたとはにわかには信じられない大胆な構造です。

※2020年9月撮影

鶯谷駅北口の周辺はラブホテル街ですが、これは、集団就職や出稼ぎで上野駅に上京した人々のための低価格な旅館や簡易宿泊施設がルーツの様です。昨今は海外からのバックパッカーたちに人気があるそうです。

※2020年9月撮影

駅前にはこの様な案内。入谷駅にも近いのですね。

※2020年9月撮影

台東区立忍岡(しのぶがおか)中学校の前を通ってJR線の上を北東に渡るとライブハウス「東京キネマ倶楽部」があります。その先を右(東)に行けば地下鉄日比谷線入谷駅。

※2020年9月撮影

こちら側は新坂。左の案内(の杭)には、

明治になって新しく作られたので新坂という。明治11年(1878年)の内務省『上野公園実測図』にある鴬(ウグイス)坂がこの坂らしい。鴬谷を通る坂だったので「鴬坂」と言われ、坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。

・・・え~っ、鴬谷という谷があったの? 早く言ってよ!(笑)

右は寛永寺墓地。ここに徳川将軍家霊廟があります。

※2020年9月撮影

今回は【木造駅舎カタログ】の記念すべき100回ですが、例外的に遠野駅を二回に分けて書いたので残念ながら99駅目です。

次回から切り口を変えて【木造駅舎コレクション】を開始します。お楽しみに!

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)