デビューは約半世紀前、「近鉄の顔」となった特急車両

12200系車両イメージ(画像:近鉄)

12200系がデビューしたのは1969(昭和44)年、今からおよそ半世紀ほど前のこと。

登場の背景にあるのが東海道新幹線の存在です。名古屋―大阪間の輸送は、1959(昭和34)年の名阪直通特急の運転開始以来、近鉄が約70%のシェアを誇っていました。この構図が東京オリンピックを目前に控えた1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線 東京―新大阪間の開業により一変します。

旅客は最新の乗りものである「新幹線」に流れ、近鉄は名阪間輸送で大きくシェアを落とすことに。スピード競争では新幹線に勝てない。近鉄は移動速度ではなく快適な空間やサービスの質を高めた「魅力ある特急列車」へと舵を切ります。

ADVERTISEMENT

1967年には車内で飲食ができるよう「スナックコーナー」を設けた12000系(スナックカー)が登場。12200系はその改良型として2年後にデビューを果たします。同形式はその後、1976(昭和51)年までに近鉄特急史上最多を誇る168両が製造され、約半世紀にわたり近鉄特急の屋台骨を支えていきました。

基本的な性能は12000系に準じており、初期の編成では「スナックコーナー」も継承したことで「新スナックカー」と呼ばれるように。12200系は当時としては珍しかった電子レンジも搭載しており、立食も可能でした。もっとも、スナックコーナーは1980年代から始まるリニューアルで撤去され、代わりに8席の座席が設置されることになります。

座席には本格的なリクライニングシートを採用。シートピッチは98センチで、足元のヒータカバーを足載せ兼用とすることで寸法以上の空間を確保しています。リクライニングは製造当初より前方にスライドするタイプを採用しており、後ろの乗客に迷惑をかけないよう配慮されていたといいます。この考え方は最新の特急車両、80000系「ひのとり」のバックシェルにも通ずるものです。

12200系車内。シートは1990年代後半から始まった2回目のリニューアルで更新されています(2021年11月「12200系」ラストランツアー時に撮影)

走行性能にも目を向けてみましょう。12200系は設計当初から120km/h運転を想定していたそうで、当時の直流電車としては日本最大級の大容量モーター(180kW)を搭載していました。登坂性能も優秀で、近鉄大阪線にあるような33パーミルの連続上り勾配でも100km/h以上の速度で走行できるよう設計されていました。

編成はMc-Tcの2両編成を基本とし、最大で10両編成まで組成可能。利用者数に応じて多彩かつ自由度の高い運用が可能な「小回りの利く車両」でもありました。他系列とも併結可能、連結を前提とした正面貫通型ですが、幌収納カバーを採用することでスマートな外観にまとめられています。

12200系が登場した頃の日本は高度経済成長期であり、1970年には大阪万博も開催されます。近鉄はこれにあわせて特急ネットワークを整備・拡大し、東海道新幹線の名古屋駅や京都駅から伊勢方面への誘客を図ります。12200系はそうした近鉄特急網の拡大において中心的な役割を果たし、観光・通勤と様々な用途で活躍を続けてきたのでした。

余談ですが、12200系は当時の車両としては珍しく洋式トイレを採用していました。大阪万博で来日した訪日外国人客へのアピールという面もあったようです。しかしながら当時の利用実態としては、洋式トイレではなく和式トイレの方が埋まりがちだったそう。時代を感じる話です。