※2022年6月撮影

トップ画像は、御蔵稲荷神社。京成船橋駅の駅前通りを南下、本町通りを東に歩き、北に曲がった先の本町中央公園西側にあります。ブロック塀まで赤く塗られています。

境内に「御蔵稲荷の由来と謝恩の碑」がありました。以下に略記します。

「稲荷神社は御蔵稲荷、祭神は宇賀魂神。神社周辺は歴史的由緒が深く、江戸初期現在地周辺に徳川家康が船橋御殿を建てたが四代将軍家綱により廃され、跡地は富氏に与えられた。その一角に飢饉に備え穀物を蓄えておく御蔵が建られ、当時、郷御蔵と呼んだ。御蔵のお陰で当地では飢饉にも餓死した者はいなかった。寛政三年御蔵は出水の為流失、御蔵への感謝をこめ地元民が浄財を募り稲荷祠の社殿を建直し、四季折々の祭を行った。

昭和初期文人太宰治氏は鄙びた御蔵稲荷を好み、その作品にも書き、いくつかの口絵写真で、御蔵稲地を背景に使っている。〈後略〉」

太宰の件は寡聞にして知りませんでした。

御殿通りを西に向かうとすぐに「御殿 東照宮 日本一小さい この先路地」の案内。

※2022年6月撮影

路地の奥に鳥居が見えます。これが京成船橋駅【駅ぶら】の目的地です。徳川家康を東照大権現として祀る東照宮は、最盛期は全国に700社あったと言われます。現在でも130社、その中で「日本一小さい」東照宮です。

※2022年6月撮影

これが東照宮。上の「御蔵稲荷の由来と謝恩の碑」にあった徳川家康が建てた船橋御殿の後に作られた神社です。

※2022年6月撮影

船橋市教育委員会の「船橋御殿跡 附(つけたり) 東照宮」の案内看板の内容です。

「鷹狩りを好んだ徳川家康が宿泊・休憩用に建てた船橋御殿。跡地が貞享年間に船橋大神宮の宮司富氏に下げ渡され富氏によって徳川家康を祀る東照宮が建立されました。現在の東照宮は、安政4年(1857)の再建。昭和2年(1927)に修繕されています。船橋市文化財に指定されています。」

※2022年6月撮影

左の東照宮と御殿稲荷。足下に三猿(見猿聞か猿言わ猿)。(笑)

※2022年6月撮影

境内から御殿通りの方を見ています。

※2022年6月撮影

御殿通りに戻って駅の方にノンビリ歩きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。