八劔神社参拝【駅ぶら05】京成千原線248
※2022年8月撮影
トップ画像は、南生実町八劔神社(やつるぎじんじゃ)の裏参道にならんでいた出羽三山信仰講の石塔。左は「昭和二十四年九月 房州社寺詣 参拝記念」、右は「奉納金一封 出羽三山参拝記念 昭和三十七年七月十五日」などと刻まれています。
房総半島で出羽三山信仰講の石塔をかなり頻繁に眼にします。
出羽三山は、東北山形県庄内地方の月山・羽黒山・湯殿山の総称。山頂に神社があり、月山神社(祭神は月読命)、出羽神社(同 伊氐波神・羽黒権現)、湯殿山神社(同 大山祇神・大己貴命・少彦名命・湯殿山権現)となっています。1997年(平成9年)まで山域は女人禁制でした。
こちらも、左は「昭和三十五年七月十五日」。右は「昭和二十四年七月登山」で「奉納杉苗参百本」と刻まれています。
※2022年8月撮影
出羽三山信仰ではない石塔もありました。
左は「昭和十一年七月二十七日 神楽殿新築記念碑」。1936年に神楽殿が作られたことが分かります。右は「伊勢参宮祈念碑」日付は昭和八年九月。お伊勢参りの記念。
※2022年8月撮影
石塔を見ながら八劔神社の正面に来ました。
帰宅後、国立国会図書館デジタルコレクションの大正15年刊「千葉縣千葉群史」707ページに記載を見つけました。
「八劔神社 生實濱野村南生實字本郷に鎮座す。日本武尊を主神とし天照御大神、大己貴命を相殿として合祀す。創祭年月日詳らならずと雖、古話傳承に曰く『當社は人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊御東征の砌相模國三浦より御渡海此地に御幸立在して國亂を平定し給ふ。當時東國は國號未定らざりしを二ヵ國に分割して従是南を上総北を下総とし永く國境とせよと宣へり。土民御徳恩に浴し深く敬ひて此の神を國家守護神と仰ぎ東國鎮護征夷神八劔神社と崇敬し當日神兩社を合わせ祀りて今に易らず崇敬す』云々。〈中略〉大正二年四月八日神饌幣帛料を供進し得べき神社として縣より指定せらる。天小弓村の南北に分離せざる頃は小弓村総鎮守たりしが、南北に分村するに及び單に南生實村の鎮守となれり。縣下古社の一に列せらる。〈後略〉」とありました。
内容を要約します。
祭神は、日本武尊。創建はハッキリ分からないけれど、古くから4世紀前半に日本武尊が東征の際に相模国の三浦から海を渡ってこの地にやってきて乱れていた国を鎮めた。さらに国を上総・下総に分けた。民はこれに感謝し八劔神社を作り日本武尊を祀った。大正二年県の神社に指定された。小弓村が南北にわかれる前は村の総鎮守、分離後は南生実村の鎮守になった。
・・・という様な内容ですね。小弓村は生実(おゆみ)村と考えても良いと思います。
三つ巴は、武家の神八幡さまの紋です。日本武尊様にご挨拶します。
※2022年8月撮影
・・・その前に手水舎で手口を清めます。
※2022年8月撮影
社殿の横に五祀社、碑文によれば「明治四十二年、一村一宮で合祀 伊弉諾尊・伊弉冉尊 妙見社 熊野社 道祖神 痘神社 平成十三年」とありました。痘神社は、疱瘡神社です。
※2022年8月撮影
横の石段の上に天神社。天神さま、菅原道真公の梅の紋ではありません。
※2022年8月撮影
これが石塔に「昭和十一年新築記念」とあった神楽殿。築86年ほどですが大切にされています。
※2022年8月撮影
青面金剛の庚申塔がありました。残念ですが日付などは確認できませんでした。
※2022年8月撮影
八劔神社も裏参道からお邪魔したので石段を下りて表に行きます。
※2022年8月撮影
巨木がならんでいます。
※2022年8月撮影
次回に続きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。