※2023年5月撮影

トップ画像は、千歳烏山駅下りホーム駅名標。

駅は、1913年(大正2年)4月「烏山」として開業。1929年(昭和4年)8月「千歳烏山」に改称。1923年(大正12年)旧国鉄烏山線の烏山駅が開業したことと関係があるのでしょうか。

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下りホームから眺め。「養老乃瀧」は筆者が1983年(昭和58年)年末に千歳烏山に転居してきた時には既にあったと思います。

※2023年5月撮影

2006年(平成18年)1月に撮ったほぼ同じ場所の写真です。お正月なので閉まっています。

※2006年1月撮影

実は「養老乃瀧」のお隣は、2003年(平成15年)9月末日に閉店するまで「サンマーク書店」がありました。1983年(昭和58年)から千歳烏山に住み始め1986年(昭和61年)に名古屋に転勤するまでカミさんがこの書店でアルバイトしてました。(笑)

※2003年9月閉店時に撮影

下りホームから南側、スーパーマーケット「ライフ」の方を見ています。

※2023年5月撮影

こちらも2006年(平成18年)の正月に撮った写真。17年間で手前の「連続立体交差事業」用地を除いてあまり変化はしていない様です。

※2006年1月撮影

下りホームから上りホーム。

※2023年5月撮影

ちなみにこちらは1999年(平成11年)1月、下りホームから北口/西口から旧甲州街道に抜ける商店街を写した写真。24年前なので現在とは店舗がかなり違っています。(笑)

※1999年1月撮影

現在の西口。線路南側は「連続立体交差事業」用地になっています。

※2023年5月撮影

同じ場所、1997年(平成9年)1月の写真。西にコンビニエンスストアがありました。

※1997年1月撮影

同じく2003年(平成15年)3月の写真。駅前には京王観光がありました。

※2023年5月撮影

京王観光の横には「千歳農協 上宿支部 集会所」がありました。

※2000年2月撮影

なぜ、古い写真を列べるのか?と訝しく思われるかもしれません。以下に理由を書きます。

筆者は、1963年(昭和38年)世田谷区烏山(現在の北烏山)に実家が転居。1977年(昭和52年)に中央線沿線に実家が引っ越すまで烏山に住んでいました。烏山北小学校卒業です。

さらに大阪の会社に就職しましたが、東京支社設置で1983年(昭和58年)年末に新婚のカミさんと粕谷に転居。1986年(昭和61年)名古屋転勤まで生活しました。1991年(平成3年)東京に返品され千歳烏山(上祖師谷1丁目)に転居。1993年(平成5年)~1997年(平成9年)は深大寺に住みましたが、1997年千歳烏山(南烏山5丁目京王ラフィネ)に転居。1999年(平成11年)上祖師谷1丁目のマンションに転居。2008年(平成20年)まで暮らしていました。整理すると

1963-1977 北烏山 14年 ※井の頭線久我山駅をメインで使用しました

1983-1986 粕谷   3年

1991-1993 上祖師谷 3年

1997-1999 南烏山  2年

1999-2008 上祖師谷 9年

・・・合計31年間 特に1983年以降、千歳烏山駅の近くで17年暮らしたコトになります。従って千歳烏山の写真がたくさんあります。

「連続立体交差事業」で千歳烏山駅は高架駅になります。筆者が住んで居た期間、千歳烏山駅を利用されていた方々にも「懐かしい千歳烏山の風景を共有していただけたら嬉しい」という想いで古い写真を使わせていただきたいのです。興味の無い方には申し訳ありませんが、お付き合い下さい。宜しくお願いします。

では、新旧の千歳烏山を散歩します。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)