※2023年5月撮影

千歳烏山寺院通りを散歩しています。トップ画像は、本覚山妙寿寺。

寺院通りの西側です。ここのお寺のみよし君は、筆者より学年が一つ下でした。

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世田谷区教育委員会の案内がありました。

※2023年5月撮影

それに拠ると、本覚山妙寿寺は、寛永8年(1631)江戸谷中清水町に開基された法華宗本門流の寺院。寛文2年(1662)深川猿江村に移り、後に猿江村鎮守稲荷社別当となり元禄4年(1691)これを合併。

関東大震災で寺院は焼失、当地へ移転する際に東京市麻布区飯倉狸穴町(現・港区麻布台2丁目)の蓮池藩鍋島家邸宅の二階建て和風住宅(明治37年築)を移築、庫裏としました。平成7年(1995)には庫裏を別棟で新築、これまでの庫裏は客殿として使用されています。

移築の時に二階建て和風住宅に式台のある平屋の棟を加えた様で、それぞれの屋根の形状や木材の材質が異なっています。二階建て部分は、栂(つが)材を使った贅沢な普請。2階の24畳大広間には、一間半幅の床の間、天袋、違い棚付きの床脇、付け書院があり、天井も折上げ格天井(ごうてんじょう)、壁は蟻壁長押をまわす書院の上座敷です。

元の鍋島家では天井の高い大広間を洋風の接客に使用。明治中期以降の華族・上流階級の生活様式を知ることができます。客殿は移築時の姿をよく留めていて意匠・技法に優れた明治期の遺構として都内では建築史学上の貴重なもので、世田谷区指定文化財になっています。

実家から歩いても5分ほどなので、時々境内を散歩させていただきました。境内に四阿があって、とても良い雰囲気です。現在の客殿には、残念ながらあがったことはありません。

お向かい、寺院通り東側の霊照山蓮池院専光寺。このお寺の御子息と愚弟が同級生でした。仲が良かったので筆者も何度かお寺にお邪魔しています。その頃は怖そうな御爺様(御住職)がいて、でも実際は優しくてお話しが面白かった事を覚えています。

※2023年5月撮影

専光寺は、慶長9年甲辰年(1604年)草創の古いお寺です。開山は、貞蓮社隠譽上人専光和尚(慶長9年正月住職就任)。当初は品川にありましたが、家康が江戸入国の頃馬喰町に移り、明暦3年(1657年)大火の後、浅草新寺町に移転しています。その後文化3年(1806年)にも火災に遭って寺の記録が焼失してしまいました。明治以降は、浅草北松山町(江戸時代の浅草新寺町)。関東大震災により、本堂庫裡を焼失。区画整理のため昭和2年(1927年)千歳烏山寺町に移転。

※各お寺の紹介は、世田谷区「寺院通り区民集会所」の紹介文などを参照しています

東京都旧跡、喜多川歌麿「秋圓了教信士」の墓等があります。墓地内にはお邪魔していないので山門脇に昔からある石碑です。

※2023年5月撮影

専光寺のお隣、横河山永願寺。

※2023年5月撮影

お寺の開基・浄願は、越後高田の士分の身でしたが出家。東本願寺の門末となり、元和3年(1617年)江戸神田に寺を建立、永願寺と称したと伝承されています。明和3年(1766年)に浅草清島町に移転。関東大震災で寺は灰燼に。幸い本尊、阿弥陀如来像、太子七高僧絵像、及び過去帳は焼失を逃れて現在もお寺にあります。震災後、昭和11年(1936年)烏山に移転しました。

いよいよ寺院通りでは最も北にある端泉山高源院です。

※2023年5月撮影

このお寺に同級生がいました。それで筆者は頻繁に「弁天池」(当時ぼくたちはそう呼んでいました)に「クチボソ」「ヌマエビ」などを採りに通いました。

高源院の開基頼元は久留米21万石のお殿様。晩年菩提寺祥雲寺輪番怡渓大和尚を慕い、仏道に帰依し、藩地に一宇を建立し東林寺と称しました。また江戸品川に一寺を創立、怡渓和尚を招いて開祖とします。これが高源院の元になっています。昭和11年復興計画の下で、千歳烏山寺町に移転。敷地内の湧水で地を作り、その中央に浮御堂を建立、弁財天を奉安しました。

池の上に弁天様の社があるので「弁天池」です。

※2023年5月撮影

「せたがや百景」のプレートが飾られています。昭和59年(1984年)10月選定。

※2023年5月撮影

記載内容。

「寺町の北の外れにある高源院の鴨池には、秋も深まるとたくさんの鳥がシベリアから飛んで来ます。コガモ、カルガモ、マガモなどが浮御堂が映した水面を泳ぎます。

夏にはスイレンなどが咲き乱れ、赤い欄干にもたれていつまでも見飽きません。湧き水の涸れることのないこの池は、地域住民の環境協定で守られています。また、昭和60年3月には世田谷区の特別保護区にも指定されました。」

※2023年5月撮影

寺院通りから松葉通りに移動、専光寺の本堂の脇を通ります。

※2023年5月撮影

奥が寺院通り、右奥に専光寺本堂があります。

※2023年5月撮影

次回は松葉通り方面散歩です。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)