※2023年5月撮影

トップ画像は、千歳烏山駅の南、寺院通りから筆者が小学校の通学路だった道を松葉通りに抜けるクランクの右手前にある向旭山源良院。

1963年(昭和38年)から1977年(昭和52年)まで14年間、ほぼ毎日通った道です。記憶にあるお寺の佇まいと違う様な気がしますが・・・。

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源良院は、浅草南元町にあった東光山良雲院西福寺が始まり。万世2年(1658年)に神田山幡随院新知恩寺内に移りましたが、元禄年間、文化3年と数度の火災に遭い、お寺の詳しい記録などは失われてしまいました。烏山に移転する前は、浅草神吉町にありました。関東大震災後、移転を開始し、昭和7年に全ての移転が完了しています。

※各お寺の紹介は、世田谷区「寺院通り区民集会所」の紹介文などを参照しています

源良院の反対側、子供の頃に、こんなしっかりしたフェンスはありませんでした。玄照寺の本堂が見えた記憶もないので、もっと樹木が鬱蒼と並んでいたのかもしれません。

※2023年5月撮影

常徳山玄照寺入口。

※2023年5月撮影

この青い鉄門も記憶にありません。門扉はなかった様な気がします。

※2023年5月撮影

玄照寺の山門を入るとすぐに大きな甕が置いてあったのを覚えています。

お寺の方にお話しをうかがいました。筆者よりも20歳くらい年下ですが烏山北小の後輩でした。甕の件は、覚えていないそうですが、四谷の「お岩稲荷 長照山陽運寺」が曾爺様の開山で「戦時中「お岩さん木像」を戦火から守るため玄照寺に避難させた時に使った甕」のことではないか、とのことでした。

これがその甕。

※2023年5月撮影

それよりも玄照寺の方と松葉通りにあった「こもおか肉屋」で5円のコロッケを買ったこと、アイスクリームを買いに通った「みどり屋」のおばんさん、子供たちが集まっていた駄菓子屋「下駄屋」のお婆さんなどの懐かしい話で盛り上がってしまいました。長居してすみませんでした。

玄照寺を辞して、お向かいの自然山妙揚寺⑲。

※2023年5月撮影

妙揚寺は、下谷区谷中天王寺町芋坂にありました。昭和3年(1928年)1月、国鉄の鉄道線路拡張のため、本堂、山門、墓地等が移転しました。

松葉通りに出てきました。実は左の豆腐屋さんは、もうありません。筆者は子供の頃鍋を持って豆腐を買いに来ていました。1998年(平成10年)6月に撮った写真です。

※1998年6月撮影

松葉通りの北側を見ています。これも1998年(平成10年)の写真ですが、既に手前にあった元肉屋さんは御子息の代になって洋服屋さん、「TOTO」の看板の店が元パン屋さん、一軒おいて駄菓子屋「下駄屋」さんがありました。

※1998年6月撮影

これが2023年の姿。ちょうど道の反対側にある交番のおまわりさんと立ち話をしましたが、まだ30代の方でここに勤務した時から店舗はほぼ変化していないと言ってました。

※2023年5月撮影

松葉通り最初のお寺は、法立山常福寺。

※2023年5月撮影

常福寺は、永正8年(1511年)浄徳院日上人が浅草新鳥越町に創建。江戸幕府の宗教政策により浅草吉野町(現在の台東区今戸)に移転。関東大震災で全焼。昭和3年3月都市計画により千歳烏山に移転再建されました。

筆者の記憶にある常福寺は、狸がたくさん並ぶお寺でしたが・・・。世田谷区の「烏山寺町ぶらり散策マップ」にも「福徳円満のたぬき寺」と紹介されています。写真は、2007年(平成19年)8月撮影の常福寺。

※2007年8月撮影

松葉通り散歩が続きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)