たくさんの「底のぬけたひしゃく」【駅ぶら】06京王電鉄 京王線138
※2023年7月撮影
トップ画像は、旧甲州街道の北側から「大國魂神社」。ケヤキの巨木が列んでいます。
高さ10mの大鳥居。御影石で作られています。
※以下「大國魂神社」のサイトを参照しています
※2023年7月撮影
参道の西側に赤い鳥居が列んでいます。
※2023年7月撮影
神戸(ゴウド)稲荷神社。眷属の御キツネ様にもご挨拶。神戸は神社の西側の町。
※2023年7月撮影
旧甲州街道を少し西に行った場所にある「神戸」の「由来碑」。
※2023年8月撮影
記載内容は以下です。
「神戸(ごうど)は、現在の宮西町2丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった宿場の一部。この集落は番場宿に属しており、幕末の地誌「新編武蔵風土記稿」には「番場宿」の小名としてその名が見える。神戸はもともと一つの区域だったが、甲州街道の創設(慶安頃1648~52年)によって南北に分れたようである。」
参道を進みます。凄い蝉時雨(せみしぐれ)です。
※2023年7月撮影
「府中市立ふるさと府中歴史館」の北東角に「国史跡 武蔵国府跡」の石碑。この後行きますが「大國魂神社」の東側に「国史跡 武蔵国府跡」の立派な施設もあります。
※2023年7月撮影
参道の東側に「宮乃咩(みやのめ)神社」。
※2023年7月撮影
右の案内板の内容です。
「摂社 宮乃咩神社 主祭神名 天鈿女命
由緒
この神社の創立は御本社大國魂神社と同じ景行天皇の御代(111年)であると伝えられ、古くから芸能の神、安産の神として崇敬されている。
例祭日は7月12日で、文治2年(1186年)源頼朝より武蔵国中の神職に天下太平の祈願を行うよう令して以来、毎年この日の夕刻より翌朝にかけて、国中の神職が参会し終夜神楽を奏し祈祷が行われた。この祭りは青袖・杉舞祭と言われる。(今は国中の神職は参加しない)、また頼朝の妻政子が当社に安産を祈願したという伝えもある。
安産祈願の折に願いを託した絵馬を奉納し、無事願いが叶うと御礼に底のぬけたひしゃくを納める風習が今でも行われている。」
それで境内に「底のぬけたひしゃく」がたくさん飾られていました。筆者は「底のぬけたひしゃく」を、初めて見ました。何処かで購入できるのでしょうか。
※2023年7月撮影
「大國魂神社」の東側に「国史跡 武蔵国府跡」があります。
※2023年7月撮影
かなり広い敷地を使った大きな施設です。
※2023年7月撮影
赤い柱が列ぶ不思議な眺めです。
※2023年7月撮影
「武蔵国衙(こくが)跡」の案内があります。
※2023年7月撮影
案内板の内容を見ます。
①国府・国衙とは
奈良時代から平安時代の約400年間、武蔵国(現在の東京都と埼玉県、神奈川県の一部)を治めた役所の所在地を国府といい、その中枢の役所群が置かれていた場所を国衙といいます。
②国衙の範囲
大國魂神社境内から東側におおよそ東西200m以上、南北300mと考えられています。
③格式高い建物の存在
この建物跡周辺から一辺30cm程度の塼(せん)が大量に出土。塼敷もしくは塼を基壇の縁に用いた瓦葺きの格式の高い建物があったことがわかります。
※塼=中国で作られた煉瓦
〈中略〉
⑤柱と床の表示
朱色の柱は、国衙の中枢建築の柱位置を示し、床仕上(平板)は建物の範囲です。
⑥府中の地名
府中の地名は、この「国府の中」から生まれました。
この様な遺構が残っていて、その形が分かっているというのも、凄いことです。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)