※2023年9月撮影

トップ画像は、住宅街に忽然と現れた鳥居をくぐって「参道」と思しき細い道を100mほど歩いて突き当たりを神号標が見えたので左折、「熊野神社」の「神号標」がありました。神社には横の石段を上るのでしょう。

すぐ横に「おくまん下公園」があります。そこに「日野市公園緑政課」が設置した案内看板がありました。文字がかすれてとても読み難かったのですが、読み取れたのは以下でした。×は判読出来なかった文字です。

「この公園の東南、山上に祀られる熊野神社は、古くから土地の鎮守神“おくまんさま”とあがめ親しまれてきた。

この社は永禄年間(1558~1570)の古書に、熊野堂山の名で記され、その東側にくまんどうの地名が残されていたことからも、永禄以前××××によって勧請されたものと考えられる。」

「おくまんさま」は「御熊様」なのでしょうか。古い神社であることは確かな様です。石段を上ります。

※2023年9月撮影

ここまで真っ直ぐ上ってきました。

※2023年9月撮影

石段はここで「くの字」に曲がっています。

※2023年9月撮影

ようやく平らな場所に出ました。背の高い杉の木立が見事です。

※2023年9月撮影

ずいぶん大きな台座に乗った狛犬です。

※2023年9月撮影

祀られている伊邪那岐命(いぎなぎのみこと)と伊邪那美命(いさなみのみこと)にご挨拶します。手水は見当たりませんでした。

※2023年9月撮影

日野市観光協会のサイトによれば「創建の年代はよく判っていません。棟札に明和9年(1773)に再建とありますが、『新編武蔵風土記稿』には「永禄(1558~1570)のころ平山村と平村との間に、熊野堂山云あり」、と書かれており、そのころには熊野権現が祀られていたと考えられています。」

拝殿と本殿。

※2023年9月撮影

社殿の背後がさらに高くなっていて石段があります。日野市観光協会のサイトには「もともとは現在の位置よりも、少し上、熊野堂と呼ばれていた谷戸にありましたが、昭和47年(1972)、台風の被害にあい、裏山が崩潰する危険が起こったため翌年、現在地に遷座しました。」と書かれています。

※2023年9月撮影

石段を上るとまた平に開けています。石段の上に小さな石社が見えます。

※2023年9月撮影

手前には鳥居の跡が残っています。ここに1972年まで社殿があったのです。

※2023年9月撮影

石段の上から本殿と拝殿を見下ろしています。

※2023年9月撮影

すごい数の蚊が飛んでいました。でも、流石に「百草園」の山中で懲りた筆者は、「高幡不動駅」のドラッグストアに寄って「虫除けスプレー」を購入してきました。手足、首などに吹き付けて蚊を防ぎました。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)