石段は続くよ どこまでも〜♪【駅ぶら】06京王電鉄313 相模原線33
※2023年12月撮影
トップ画像、「北辰妙見尊」通称「武州百村 北辰妙見宮」の石塔を60段上がってきました。また鳥居があって石段も見えます。
ここは階段で言うところの「踊り場」なのです。
左に案内板が見えます。
※2023年12月撮影
「東京都教育委員会」のものでした。内容は以下です。
「東京都指定無形民俗文化財(風俗習慣)
稲城市百村(もむら)の蛇より行事 稲城市百村の蛇より行事
所在地〈略〉
指定 平成4年3月30日
この行事は寛文2年(1662)の春、諸国に疫病が流行した折に始められ、一時中断したことはあったが、以来疫病防止、降雨、五穀豊穣を祈願するため毎年欠さずに行われている。
毎年8月7日、北斗七星になぞらえた百村の旧村民(現在は「竪神社奉賛会」会員)の中から選ばれた7名が、萱場から萱を刈り出し、これを奉賛会の全員が集まって長さ50~100メートルほどの大蛇の形に撚り上げる。その後、妙見宮の階段に沿って置き、頭を山下の二十三夜塔の前に、尾は山上の社殿を取り巻くように安置する。
蛇体の製作に併行して、妙見宮の別当妙見寺の僧侶によって読経が行われ、完成した大蛇は僧侶から開眼供養を受け、一連の行事は終わる。
本行事では素材が萱という異色の大蛇がつくられる。その長さは50メートル以上と巨大であり、その製作にあたって仏教儀礼が併行して行われるなど他には見られない特色を有している。希少的な価値を持つ極めて珍しい民俗行事の一つである。
平成5年3月31日 建設 東京都教育委員会」
「妙見寺」さんのホームページに「蛇より行事」の紹介があります。
神仏習合の極めて珍しい行事なのですね。夏に来ればよかったかしら・・・。
「蛇より行事」で大蛇の頭部がおかれる「二十三夜塔」です。
※2023年12月撮影
「二十三夜塔」は言うまでもなく旧暦の23日、講中の人々が集まって飲食を共にしながら月の出を待つ行事です。
「二十三夜塔」の背面には「天保七申年六月」の文字が読めます。1835年、三菱財閥創業者岩崎弥太郎や慶應義塾創設者福沢諭吉、清では西太后が生まれた年でした。ペリー提督が浦賀沖に現れるまであと20年もないのです。
※2023年12月撮影
では「踊り場」から石段を上がります。
※2023年12月撮影
上り始めた石段から「踊り場」。広いです。
※2023年12月撮影
数えて65段上りました。ここまで125段。
※2023年12月撮影
どひ~! また「踊り場」でした。さらに石段が続くのです。
※2023年12月撮影
石段は続くよ どこまでも〜♪ と歌いながら上がりました。41段。合計166段。
※2023年12月撮影
狛犬があってさらに石段が続いています。膝痛持ちの筆者はめげそうになりました。
※2023年12月撮影
しかし、38段を上ってようやく「北辰妙見尊」通称「武州百村 北辰妙見宮」が見えました。
※2023年12月撮影
合計204段の石段でした。爺はへとへと。(笑)
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)