カワサキワールドで来館者を迎える0系新幹線。車内や運転席に入れます(筆者撮影)

関西圏の鉄道博物館・展示施設といえば、京都府京都市の京都鉄道博物館、大阪府摂津市の新幹線公園、滋賀県長浜市の長浜鉄道スクエアなどが思い浮かびます。2024年夏の関西紀行では、取材目的地が兵庫県神戸市だったため、同地の情報を調べたら「カワサキワールド」がヒットしました。

神戸市中央区の元町・ウォーターフロントにあって、JR神戸線元町駅からも徒歩圏のカワサキワールド、日本の3大重工メーカーの一つに数えられる川崎重工業の企業ミュージアム。川重(2021年の分社化で現在は川崎車両〈川車〉です)は、日本の高速鉄道時代の幕を開けた0系新幹線をはじめ、SLから新幹線まで数多くの名車を生み出してきました。

企業ミュージアムといえばお堅いイメージかもしれませんが、その点は心配ご無用。カワサキワールドには0系新幹線の実車のほか、大型鉄道模型ジオラマもあって、子どもたちの歓声が絶えません。

本コラムは明治初期にさかのぼる企業ヒストリーとともに、川重が生み出した多くの名車をご紹介。スピンオフで、日本の鉄道車両工業の略史もご案内します。

アメリカで旅客車両5000両突破

まずは最近のトピックス。川重は、アメリカで納車した旅客鉄道車両が累計5000両を超えたことを記念して2024年10月9日、ニューヨーク市近郊の工場で記念セレモニーを開催しました。

ニューヨーク州工場での5000両達成セレモニー。「FOWARD(前進)」の一語が企業姿勢を表します

川重は1979年にアメリカ市場に進出しています。現地で川重の車両に乗るならここ。ニューヨークの地下鉄では、現地法人・Kawasaki Rail Car, Inc(カワサキレールカー=KRC)のシェアが4割に上ります。

川車の村生弘社長は、「私たちはカワサキ製車両への期待に応えるため、日々努力を重ねていく」と決意を述べました。

経営多角化で鉄道車両に進出

ここで時計を150年ほど巻き戻して企業ヒストリー。創業者は企業名に名を残す川崎正蔵(1837~1912)で、鹿児島の商家生まれ。20歳代で海運業を起業しましたが、持ち船の遭難で失敗しました。

苦い経験から日本には西洋式近代船が必要と考え、1878年に東京・築地、1881年に神戸で造船所を開設。1896年に川崎造船所を創業し、初代社長に松方幸次郎(1865~1950)を迎えました。松方は4、6代目の総理大臣を務めた松方正義の三男です。

松方が実践したのは経営多角化で、鉄道車両への進出を決断。1906年に神戸市東尻池村(現兵庫区)に兵庫工場を開設、翌1907年に完成品第1号の電車を南海電気鉄道に納車しました。

名車3選 創業翌年の1907年に誕生した南海電車。南海では昭和初期に豪華設備で一世を風びした「電7系電車」も川重製です

急行用SL、流線形電車……

以下、川重が送り出した鉄道車両をスポット的に披露します。

1911年に製造したのがSL・6704号機関車。川崎造船所の技師が設計し、同社と汽車製造(企業名。通称・汽車会社)が生産しました。先輪、動輪とも2軸の2B型テンダー機関車。東海道・山陽線などで、急行・直行列車のけん引機として活躍しました。

戦前でもう1形式注目したのが1936年登場の52系電車。ベテランファンなら形式名を聞いただけでピンとくる流線形電車です。昭和初期、流線形が世界的に流行。52系は京阪神エリアの急行用、戦後は旧国(旧形国電)王国だった飯田線(愛知、静岡、長野県)で長く活躍したので、ご乗車になった方がいらっしゃるかも。現在、愛知県名古屋市のリニア・鉄道館に先頭車が保存展示されます。

新幹線では500系やE5系

話は現代に飛んで、1996年に登場したのが山陽新幹線の500系。運転席は鉄道車両というより、航空機のキャノピー(風防)を思わせます。先ごろ2027年をめどにした引退が予告され、ファンの間から惜しむ声が上がっています。

2014年には、JR東日本の東北(北海道)新幹線用E5系を新製。2018年には機関車製造累計5000両達成の節目を迎えました(5000両目はJR貨物のEF210電気機関車です)。

川重、川車の鉄道ヒストリーはTo be cotinude。今後もざん新な車両が、ファンをときめかせてくれるはずです。

名車3選 小田急ロマンスカーSE車3000形。デビュー2カ月後の1957年9月には線路条件のいい東海道線函南~沼津間で高速走行試験に挑戦、時速145キロというという当時の狭軌(線路幅1067ミリ)の世界最高記録を樹立し、新幹線開発に大きな影響を与えました
名車3選 1958年デビューの国鉄151系特急形電車。東京~大阪間を6時間30分で結び、日帰り出張を可能にしたボンネット形車両は通称「ビジネス特急」。列車名は公募で決まりました

民間初の車両メーカーはスタートアップだった?

ここでスピンオフ。日本の車両メーカーの系譜を略史でたどります。

日本の鉄道車両工業は、官主導で始まりました。最初の民間車両メーカーは平岡工場。1890年に東京・小石川の陸軍砲兵工廠(こうしょう)の敷地の一部を借りて客貨車の製造を始めました。工場名は創業者の平岡熈(ひろし)から。現代風にいえばスタートアップ(ベンチャー)企業でした。

※「熈」は「臣」の左がにすい

戦前に川重のほか日立製作所、芝浦製作所(東芝)、三菱電機、東洋電機製造、日本車輌製造など現代につながる多くのメーカーが創業します。

戦後高度成長期の1950~1960年代、鉄道車両工業は多忙を極めます。しかし、マイカー普及で車両製造は徐々に先細りになり、比較的順調だった輸出も急速な円高で窮地に追い込まれます。

その後、1987年の国鉄改革で誕生したJRグループ各社は、魅力的な新型車両をデビューさせ、メーカーも対応に追われます。

国鉄改革で変わったことをもう一つ、日本の鉄道業界は長く国鉄が頂点に立ち、民間メーカーを育成してきたのですが、JRになってそうした主従関係は崩れ、メーカーは独立志向を強めました。

巨大ジオラマに隠し演出

入り口部分をおおう帆のモチーフがシンボルの「カワサキワールド」(筆者撮影)

最終章では、カワサキワールドをご案内します。開館は2006年。神戸ポートタワー近隣にある神戸海洋博物内に誕生しました。

館内はヒストリーコーナー、カワサキワールドシアター、モーターサイクルギャラリー(二輪車)、陸のゾーン、海のゾーン、空のゾーン、コロコロファクトリー(ロボット)、TECHNO-LAB(デジタル技術を駆使した体験コーナー)などに分かれ、陸のゾーンに0系新幹線の先頭部が展示されます。

鉄道ファンや子どもたちが、必ず足を止めるのが巨大な鉄道ジオラマ。HOゲージの線路を走るのは、新幹線はE5系、N700系、在来線は151系特急電車、SL・C58、ニューヨーク地下鉄のR160系といった川重が生んだ〝鉄道界の名優たち〟です。

カワサキワールド・鉄道ジオラマの新幹線駅に並ぶ歴代の名車両。一番手前は引退迫る500系です(筆者撮影)

最後にジオラマ鑑賞のワンポイント。ネタバレになるので詳細は割愛しますが、ジオラマには見つけて楽しい「ちょいスクープ!」、「スクープ!!」、「超スクープ!!」の演出があります。詳しくはカワサキワールドのチラシで。ぜひ現地で探してみてください。

記事:上里夏生