※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラで撮影しています。

旧国鉄木原線でした

木原線は、1930年(昭和5年)大原〜上総中野間で開業しました。本来は上総中野から久留里線の上総亀山まで延伸して、大原〜木更津間を結ぶ予定でした。「木」更津〜大「原」で木原線だったのです。しかし沿線は人口希薄地帯で利用者は少なく、1981年(昭和56年)国鉄再建法の第1次特定地方交通線に指定され、1987年(昭和62年)JR東日本に継承された後、1988年(昭和63年)に沿線自治体などが出資する第三セクターのいすみ鉄道に転換されました。営業キロは26.8km、14駅、単線非電化です。

1988年(昭和63年)いすみ鉄道になった翌年には乗車人員がそれでも年間112万人(輸送密度1、273人/日)でしたが、減り続けて2010年(平成22年)には39.5万人と約三分の1(35.3%)になっています。年間80万人近くいた通学定期利用者が約14万人と8割も減ってしまったのが大きく響いています。

久留里線は今もJR東日本によって運行されています。筆者は2013年8月に久留里線、いすみ鉄道、小湊鉄道の写真を撮ったのですが、何度もパソコンのシステムの入替などを繰り返している間に誤ってその時の写真をまとめて消去してしまいました。辛うじてブログに残っている写真を使ってその時の風景もご紹介します。

久留里線の上総亀山駅です。ここから上総中野まで約15kmは計画されただけで未成線のまま放棄されました。久留里線は盲腸線のままです。

小湊鉄道から乗り継ぎます

五井駅を9:25に出た小湊鉄道で10:38に上総中野に着きました。7分後の10:45発いすみ鉄道大多喜行に乗ります。これがJR西日本大糸線を2010年(平成22年)3月まで走っていたキハ52 125です。

筆者は2009年8月にキハ52に乗る為に大糸線を訪れています。その時は大糸線引退後JR西日本岡山支社で保存されているキハ52 115に南小谷から糸魚川まで乗りました。

いすみ鉄道で今回乗ったキハ52 125は、糸魚川駅構内で撮影しました。当時は鉄道省色(青色3号+黄褐色2号)に塗装されていました。9年間の時間を経て、なんだか不思議な感じがします。

新幹線が通る前なので糸魚川駅構内には煉瓦造りの車庫がありました。懐かしい風景です。

話を2018年に戻します。いすみ鉄道のキハ52 125はドア上にJR西日本大糸線時代の路線図が残されていました。北陸本線の時代です。

運転台の後には大糸線の料金表!糸魚川〜南小谷が650円。現在は670円です。

余談ですが、先日大糸線に乗った時に運転士さんが同世代で、キハ52時代の話をたっぷり聞かせていただきました。現行のキハ120は車重が軽いので冬期は2両で運転されることなど。その時にいすみ鉄道でキハ52 125に乗った話もしました。とても懐かしがっていました。

いすみ鉄道上総中野の駅名標。

10:45発の大多喜行が出発します。

西畑川を渡ります。

1.7kmで西畑駅。単式ホーム1面1線です。待合室があります。

駅名標。

鉄橋で渡るのは同じ川ですが名前は平沢川です。

2.9kmで総元駅。不自然にレールが曲がっているのは蒸気機関車時代の機回し線とポイントが撤去されたためです。

単式ホーム1面1線。

駅名標。駅所在地は夷隅郡大多喜町三又、総元という地名は近隣に見当たりませんが、閉校になった総元小学校というのが東総元駅近くにありました。1933年(昭和8年)に開業した駅ですから古い地名なのでしょうか。

薄いブルーの綺麗な駅舎がありました。

走り始めたいすみ鉄道、【私鉄に乗ろう 41】いすみ鉄道いすみ線 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)