『騎士団長殺し』に話を戻します。

主人公には12歳で心臓の欠陥のために死んだ妹がいます。最愛の妹の死は主人公に深い影を落としています。美大生になった主人公はアルバイトをしていた引っ越し屋のトラックの荷台に閉じこめられ、パニックになり閉所恐怖症を発症しますが、実は、最愛の妹が狭い棺に入れられ焼かれたことこそが彼を閉所恐怖症した本当の原因だったと言うのです。閉所恐怖症の主人公はエレベーターに乗ることができません。

主人公が、無意味な肖像画を描いて生活の糧を得ることは、『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公が行う「文化的雪かき」と似ています。

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『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公が行動を共にする少女ユキは13歳でした。『騎士団長殺し』にも13歳の少女まりえが重要人物として登場します。二人は共に美少女で特異な精神性と敏感な感受性を備えているが故に孤独で同世代とは馴染めずにいます。「ユキ」が霊能者っぽかったのに対して「まりえ」はより自然と一体化した様な存在に見えます。いずれにしても巫女的な存在に映ります。

免色という登場人物は、「とても優雅にアルコールランプに点火する五反田くん」と外形的には似ています。主人公からは、端正な、新古典主義的な美意識に従って生きている様に感じられています。

あるいは主人公の「見る/描く」の絵画的論理性に対置されるシンプルな地上的論理性。二人は、ワイドショー的な成功者で魅力的ですが、「主人公の生き方=自然さ」を羨む存在として登場します。

たぶんこの「主人公の生き方=自然さ」を受容するか否かがムラカミ作品評価の基礎にあるんじゃないかと思います。言い換えれば「ワイドショー的成功」に魅力を感じないことがベーシックに必要なのです。あるいは「芸能人ネタ」や「有名人の私生活」に一片の興味も覚えないこと、って当たり前の様に思いますが意外にマイノリティーかもしれません。

いずれにしても、主人公の荒唐無稽な体験/幻想を少なくともアタマから否定しないのがこの免色氏なのです。もちろん、もう一人の「秋川まりえ」も主人公の語る体験/幻想をハッキリ肯定はしていませんが受容します。彼等は「共犯的」に主人公の対峙する世界を共有します。

少し『騎士団長殺し』のストーリーを追ってみます。

主人公は或る日突然妻から一方的に離婚を宣言されます。傷心というかショックを受けた主人公は古いプジョー205のマニュアル車で衝動的に無目的な旅を始めます。肖像画家の仕事を辞め、携帯電話を川に捨てることで世間との回路を遮断し、東北・北海道を二ヶ月間彷徨うのです。しかし中古で少々がガタのきていたプジョーは壊れてしまいます。

主人公は旅をやめて友人の父親、高名な日本画家がアトリとして独居していた伊豆高原の山の上の一軒家に住むことになります。友人の父親が高齢で施設に入ったため空き家になっていたのです。空き家は不用心なので好都合だととても安く借り受けます。そして主人公は駅前の絵画教室で絵を教える以外はほぼ引きこもりの様な生活を始めます。

主人公は絵画教室に通う二人の主婦と不倫をしますが、このエピソードは特に必要だと感じられません。ムラカミ作品に時々登場する「ワイドショー的な価値観を引用する道具」の一種です。物語には見事に俗っぽい人物が出てこないので仕方無く登場させられる人たちですね。

山の上の孤独な日々、依頼された肖像画ではない、自発的な作品を描こうとして主人公は苦しみます。突然主人公に法外な価格で肖像画を依頼したのが向かいの山頂にある豪邸で一人で暮らす謎の人物54歳の独身男性、免色氏でした。

主人公は夜間に異音のする屋根裏で山荘の持ち主・老日本画家雨田具彦が発表せずに隠していた作品『騎士団長殺し』を発見し、アトリエに飾り一人で『騎士団長殺し』と向かい合います。

ここからがファンタジー、主人公の幻想が縦横に展開します。

ネタバレだなぁ。

とりあえずこの項、次回も続けてみます。

(写真・記事/住田至朗)