高木彬光『人形はなぜ殺される』といえば名探偵神津恭介シリーズの代表作。デビュー作『刺青殺人事件』と並び称されるシリーズ代表作として知られており、複数の人形を用いた見立て殺人と、その鮮やかな解決が魅力的な一冊として知られています。まあ初めて読むのでこれは受け売りなんですけど。あらすじはこんな感じ。

「私ぐらいの修業をつみ、私ぐらいの技術に達した魔術師が、犯罪を犯したら、どうなるかということなのです。恐らく、普通の捜査方法では、そのトリックさえ見やぶれますまいね」――大魔術師フーディニエの再来と言われた男・中谷譲次の招待を受け松下研三は新作魔術発表会に出席した。しかしその発表会のさなか、白木の箱に入っていたはずの人形の首が忽然と消失する。行方不明の人形の首はやがて成城のとある邸宅で首なし死体と一緒に発見され、人形の絡んだ奇怪な連続殺人へとつながっていく……

読み進めていく内に意味深な歌を口ずさむ詩人が出てきたり降霊術じみたことが行われます。もちろん「読者への挑戦」もある。どう考えてもミステリ好きが好きなやつだったのでバッシーも大変楽しく読みました。文庫でも手に入りやすいですし、Kindleでも買えるのでぜひどうぞ。

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なぜ本作を取り上げるかというと、それは夜光急行「銀河」と「月光」が登場するから。しかもこれが作中でとんでもない役割を果たすのです。第一の殺人ののち、舞台は綾小路家の別荘たる興津の「止水壮」へと移るのですが、法医学者でもある名探偵神津恭介は学会発表のためこの招待をスルー。東京駅から夜行列車に乗って京都へ向かいます。

“神津恭介が東京駅へついたのは、午後八時ごろだった。「月光」の発車時刻は一〇時一五分だから、まだ二時間以上時間がある。こんなに早く会がすむのだったら、八時三〇分発の「銀河」か九時発の「安芸」か九時三〇分発の「筑紫」か、そのどれかにするのだったとちょっと後悔に似た感じが起った。”

しかし、第二の殺人現場となる興津で路線に人形が投げ込まれ、「銀河」がその人形を轢いてしまうという事件が起こります。そして神津恭介が京都へ向かうために乘った「月光」が興津を通過するとき、次なる悲劇が……そう、本書は本格ミステリであり、そして夜行急行を用いた鉄道ミステリでもあるのです。

夜行急行「銀河」と「月光」

本書『人形はなぜ殺される』の刊行は1955年。作中では数ヶ月単位で時間が飛んでいるので具体的にこの時期、と断言出来ませんが、夜行急行「月光」の運行開始が1953年11月なので、年代設定は1954年~1955年頃と見て良いでしょう(そのわりには作中で1953年のスターリンの死やバカヤロー解散に触れられているのが気になりますが)。以前取り上げた『点と線』の少し前くらいの時期ですかね。マジシャンが「魔術師」と言われていたり、元華族である綾小路家の別荘「止水荘」には二・二六事件を恐れて作られたと思しき地下道がある。そんな時代です。

戦時中に廃止されていた夜行急行が戦後復活するのは1947年のこと。それからしばらく経った1949年9月、ダイヤ改正で列車に愛称がつけられることになり、「銀河」と名付けられた夜行急行が誕生します。最初は1等車と2等車(今でいうグランクラスやグリーン車みたいなお高い座席)のみでしたが、敗戦後、まだ朝鮮戦争も始まっていない頃の日本でこんな列車に乗れる名士様がごろごろしているはずもなく、10日も経たない内に3等車を連結して運転することになりました。

夜行急行自体は昭和の中頃に全盛期を迎えるのですが、以前「寝台特急殺人事件」を取り上げた時にも少し触れたように、東海道新幹線の開通からは次第に競争力を失っていきます。銀河は急行にして初めて20系客車が導入されるなど珍しい経歴を辿る列車でしたが、車両の老朽化もあり2008年に廃止されました。

本書で神津恭介が乗った夜行急行「月光」は、先に述べたように1953年11月から1965年9月にかけて東京~大阪間の夜行急行列車として運行されました。2年後の1967年になると、今度は国鉄583系電車が投入された寝台特急「月光」が運行を開始しますが、こちらが走るのは東海道本線ではなく新大阪~博多間です。

残念なことに神津はプロバリンを飲んで寝てしまうので、夜行急行「月光」内の描写はさほど詳細ではありません。せいぜいボーイが持ってきた松下研三からの電報を確認して返事を送る程度で、むしろ京都から上りの「はと」で引き返す途中の食堂車の描写の方が濃いぐらい。しかしぐっすり眠るために夜行急行で薬を飲むのも、利用者のリアル、という感じではありますね。