※2015年3月撮影

札沼線という名称自体が使われなくなっています。現在は学園都市線という愛称で呼ばれています。

元は、札幌駅と留萌本線の石狩沼田駅を結ぶ路線として中徳富駅〜石狩沼田駅間が1931年(昭和6年)開通しました。しかし、第2次世界大戦中に不要不急路線として石狩当別駅〜石狩沼田駅間が休止されます。

長く休止期間が続くと、利用者は異なる移動手段を日常化します。石狩当別駅〜浦臼駅間は2年後に営業が再開されましたが、浦臼駅〜雨竜駅間は休止から9年後の1953年(昭和28年)、雨竜駅〜石狩沼田駅間に至っては休止から12年後の1956年(昭和31年)まで営業が再開されませんでした。

休止期間が最低でも2年間、長ければ12年間です。これでは利用者に鉄道に戻って来いと言うのは無理です。1972年(昭和47年)には、旧中徳富駅(1953年に新十津川に改称)〜石狩沼田駅間(34.9km)が廃止されます。

それでも1986年(昭和61年)までは新十津川駅発着の列車は5往復ありましたが、1986年のダイヤ改正で3往復に減らされました。2007年(平成19年)駅ナンバリングが実施されました。

※2015年3月撮影

でも石狩金沢駅〜新十津川駅間には駅ナンバリングは行われませんでした。この時点で既に廃止が想定されていたとしか考えられません。そう言えば廃止が取り沙汰されている日高本線も駅ナンバリングが行われませんでした。何か、怪しい感じがしますね。

※2015年3月撮影

2012年(平成24年)には桑園駅〜北海道医療大学駅間が電化、札幌駅〜北海道医療大学駅間は電車で運行される様になりました。2016年(平成28年)のダイヤ改正で浦臼駅〜新十津川駅間が1日1往復の運行になってしまいます。これでは「出かけても」多くの場合「帰る便がない」状態になります。浦臼駅〜新十津川駅間の鉄道移動が実質的に不可能になったのです。

紆余曲折もありましたが、2020年5月には、北海道医療大学駅〜新十津川駅間(47.6km)が廃止される予定です。

私は、3往復運転時代から何度か札沼線に乗ってきました。3往復時台は自分以外に乗客のいない状態が珍しくありませんでした。しかし、廃止が取り沙汰されるようになって、1日1本の新十津川行1両に大勢の鉄道ファンが乗る事態になっています。写真は新十津川駅。

※2016年9月撮影

駅の隣にある空知中央病院保育所の園児が毎日、1日1本しか来ない列車の送迎をしていました。

※2016年9月撮影

では、2016年9月に新十津川駅から乗った時の前面展望と2019年6月にレンタカーで駅を撮影した写真、2015年に石狩当別から新十津川駅まで乗った時の写真など適当に組み合わせながら札沼線の非電化区間を辿りたいと思います。

この日は函館本線の滝川駅から路線バスで新十津川町役場まで移動しました。バスの運転本数は少なくなかったと思います。石狩当別駅までは町役場から徒歩で5分程度かな。

※2016年9月撮影

駅の方に歩いて行くと案内表示があります。

※2016年9月撮影

この時(2016年9月)の駅、早めに着いたので誰もいませんでした。

※2016年9月撮影

2015年3月に札沼線で来た時、まだ雪景色でした。石狩当別駅まで乗った乗客は筆者と友人だけでした。ホームから駅舎を見ています。写っている人影は一緒に音威子府の駅そばを食べに来た友人。

※2015年3月撮影

駅舎正面、雪かきされた部分しか歩けません。

※2015年3月撮影

この後、路線バスで滝川駅に移動。滝川は駅舎改装前で、まだ「撮影禁止」の駅そばが待合室にあった頃です。右下のピンク矢印が「撮影禁止マーク」。

※2015年3月撮影

まだ新十津川駅の情景が続きます。

(写真・記事/住田至朗)