※2016年9月撮影

駅舎内部。時計は8時半を指しています。まだ駅には誰も来ていません。駅舎内はキレイに掃除されています。

※2016年9月撮影

1日1本の列車は9:28着、まだ到着まで1時間あります。しかし、始発にして終電、マトモな鉄道運行ではないですよね。

※2016年9月撮影

駅舎からホーム側出入口。椅子の上は筆者の荷物。黄色いカバンは青いガムテープで応急処置がしてあります。このバッグは、この2016年(平成28年)の旅から帰った後、修理を諦めて廃棄したので、今となっては懐かしいなぁ。ピンクのキャリーバッグに滝川のコンビニで買って来た朝食がくくりつけられています。札沼線に食料を入手できる売店は存在しません。

※2016年9月撮影

外に出て、ホームの札幌側からの写真。駅舎の右手前に柵があります。

※2016年9月撮影

2016年当時は「のびのびぼくじょう」というものがありました。コスモスがいっぱい咲いています。

※2016年9月撮影

営業内容・詳細は分かりませんがポニーというのか小型の馬が飼われていました。

※2016年9月撮影

列車の到着時間が近づくと駅の隣にある空知中央病院保育所の園児が送迎のためにやってきます。この時間には、タクシーなどで駅にやってきた人が何人かいました。

※2016年9月撮影

列車が到着すると乗客は一旦全員下車させられます。子供たちが新十津川をアピールするチラシを手渡していました。

※2016年9月撮影

しかし、新十津川駅で下車する人は皆無に近く、ほぼ全員が再び列車に乗り込んで戻って行きます。

※2016年9月撮影

この後、私も始発にして終電という北海道医療大学行に乗りました。何しろ、満員の札沼線は初めてでした。見送ってくれる子どもたちに手を振ってお別れです。

※2016年9月撮影

駅名標が写っていました。新十津川駅は、1931年(昭和6年)国有鉄道札沼北線開業に伴い終着として設置されました。当初は中徳富駅でした。1934年(昭和9年)札沼北線が浦臼駅まで延伸開業。翌1935年(昭和10年)石狩当別駅〜浦臼間が開業し、桑園駅〜石狩沼田館が正式に札沼線となりました。

既述ですが戦時中の休止を挟んで1953年(昭和28年)浦臼駅〜雨龍駅間が営業再開。同時に駅名が新十津川に改称されました。1972年(昭和47年)石狩沼田駅から当駅間が廃止され終着駅になりました。1986年(昭和61年)に無人駅になっています。2006年(平成18年)に廃止されるまで二代目中徳富駅があったので下徳富が上書きされています。

2020年には北海道医療大学駅から当駅までの区間が廃止の予定です。

新十津川駅、まだ続きます。

(写真・記事/住田至朗)