トップ画像は鰺ヶ沢駅に停まるキハ40 521。2014年7月の撮影。トップ画像は手元にある五能線色のキハ40系を並べてゆきます。既述の様にキハ40系が五能線から消えてしまうのは淋しいです。

鶴泊駅を出発した列車は北に向かっています。見えているのは鶴田の町っぽいですね。大きい町に見えます。

鶴泊駅から2.4kmで陸奥鶴田駅。この駅も線形からは明らかに島式ホーム1面2線だったと思われます。

ホーム左側にも島式ホームだった「記憶」が残っていますね。

駅名標。1918年(大正7年)陸奥鉄道の駅として開業しています。1986年(昭和61年)交換設備撤去。翌年国鉄分割民営化でJR東日本の駅になっています。その頃は駅舎内にキオスクもあった様です。

ちなみに町名は「つるた」ですが駅名は「つるだ」と濁音になっています。JR日光線に鶴田駅(1902年・明治35年開業)があったため旧国名の陸奥が冠されています。

1999年(平成11年)鶴田町コミュニティプラザ併設の現行駅舎が供用開始。壁面の装飾が面白いというか、窓が無いのは雪国だから? 残念ながら旧駅舎は取り壊されてしまいました。

次は五所川原駅です。五所川原駅まで北上した五能線は、五所川原駅の先で大きく左にカーブして西に向かって進みます。

十川という河川を渡ります。川の向こう側は五所川原の市街地です。

陸奥鶴田駅から6.0kmという長い駅間で五所川原駅。島式ホーム1面2線。長い跨線橋の右側に津軽鉄道の津軽五所川原駅があります。真っ正面に交換列車。

ホーム、跨線橋の向こうに津軽鉄道津軽五所川原駅と車両が見えます。

駅名標。撮影は2016年11月。1918年(大正7年)陸奥鉄道が川部駅から当駅までを開通させ終着駅として開業しました。1927年(昭和2年)陸奥鉄道は国鉄に買収されます。1930年(昭和5年)津軽鉄道が開業しましたが駅は国鉄と共同使用でした。1936年(昭和11年)五能線が全通します。1997年(平成9年)までは駅舎内にキオスクと駅そばがありました。残念ながら食べる前に閉店してしまいました。

※2016年11月撮影

余談です。

2017年1月に津軽鉄道に乗る為に五所川原に来て宿泊したことがあります。とにかく駅前の雪がすごくて驚きました。その時のコラムです。

夜、居酒屋で独酌していると在京キー局のAD(アシスタントディレクター)というお兄さんがやはり一人で飲んでいて話をしたら、何と彼は下北半島の出身。大湊線、下北駅から分岐していた旧国鉄大畑線の終点大畑の生まれだというのです。まだ20台なので、1985年(昭和60年)に旧国鉄から下北交通に転換されたことや下北交通の大畑線だった時代もあまりハッキリとは覚えていないそうで、2001年に廃止された時には幼稚園に行っていたそうです。そりゃ記憶が曖昧でも仕方ないですね。

彼は番組の企画ロケハンで津軽鉄道に乗りに来て筆者と入れ替わりに翌日は近くまで来たので下北半島の実家に寄って帰ると言っていました。鉄道番組の企画を考えるだけあって鉄道に詳しくて一緒に飲んで楽しかったことを覚えています。筆者はあまりテレビを観ないので津軽鉄道の番組が上手くいったのかどうかは残念ながら知りません。二人とも翌朝が早いので深酒もせずに大人しく帰りました。

鉄道旅は常に一人旅です。夜は居酒屋で独酌。でも滅多にありませんが、この様な楽しいお酒になることもタマにはあるのです。

今夜は秋田です。

(写真・記事/住田至朗)