秦野駅を出ると下ってゆきます。渡り線があります。

下り勾配標は20パーミル。

農地の向こうを東名高速道路の高架が通っています。秦野中井インターチェンジは、右(西)に1km少しです。

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秦野トンネル(351m)で秦野盆地を出ます。

東名高速道路が小田原線を横切っています。

言うまでもないことですが、ふだん鉄道を利用する人のほとんどが前面展望なんて注視していないワケです。斯く言う筆者も用事で移動している時など座席に座れたら本を読んでいるか、iPhoneに大量に入れてあるロック・ミュージックを聴いて半分眠っています。

それが日常というコトです。

でも、今日はこうして揺れる車両でコンデジの小さなモニターを注視して前面展望を撮っています。半分以上趣味とは言え自分でも「物好きだよな~」と時々我にかえる瞬間があります。特にこの様な変哲もない平和な前面展望を撮っている時にふと内省的になってしまう傾向があります。もちろん風景は見慣れている様で、実は多くの場合、初めての場所の方が多いのです。

余談ですが、子供の頃から鉄道に乗って、何故飽きるコト無く車窓を眺めていたのかというと、筆者の場合は「ああ、あの場所に自分が立ってこちらを通って行く鉄道車両を見ることはおそらく一生無いんだろうなぁ」という一種の、風景の持つ不思議な呪縛に魅せられていたからだと思います。

人間の見ている世界は「その場所にいる」ことが基本ですが、古くは絵画に始まって、現代のテレビや映画などの映像は「カメラ(画家)が自分の眼の代わりをしている」という意味で人間の視線を遍在させる画期的な装置なのです。実は詩や紀行文にも同じ効果があると思います。

極めて限定された人生という所与の時間の中で、どれだけ自分の眼で実際の風景を観ることができるか、というのも実は筆者の鉄道旅行の動機になっているのです。それは小田急線に乗っている今も同じです。

・・・という様なコトを前面展望を撮りながら考えていたらカーブの先に駅があります。秦野駅から4.7kmという長目の駅間で東海大学前駅です。

相対式ホーム2面2線に大きめの跨線橋と橋上駅舎というパターンが続きます。

駅を出ると小田原線は勾配を登ってゆきます。この辺りの地形も複雑です。

東海大学前駅上りホーム。下りホームに快速急行小田原行8両編成が停まっています。

駅名標。1927年(昭和2年)の開業時は、大根(おおね)駅でした。駅所在地が神奈川県中郡大根村だったのです。大根村は1955年(昭和30年)秦野市に編入され消滅しています。1987年(昭和62年)新しい橋上駅舎になって東海大学前駅に改称されました。橋上駅舎建設資金を東海大学が提供したのです。後で駅前に残された旧駅名大根を伝える石碑を見ます。2008年(平成20年)駅前広場とロータリー、ペデストリアンデッキが完成しました。駅所在地は神奈川県秦野市南矢名です。

橋上駅舎改札口。

南北自由通路から改札口。右側のOdakyu SHOPは閉まっています。

南口のペデストリアンデッキ。

ペデストリアンデッキを下から見ています。

南口のマクドナルドの前に大根駅記念碑が置かれています。反射でマクドナルドのロゴが映っています。読み辛いのでメモしてきた内容を記します。

記念碑 明治二十二年(一八八九年)当時の南矢名、北矢名、落幡、下大槻、真田の五か村が合併し「大根村」となる。

昭和二年小田原急行鉄道(現小田急電鉄)が開通し、村内に駅を設置するに際して、その名称を「大根駅」とした。

駅開設が実現をみたのは、大根村をはじめ地域の方々の多大なご協力の賜であり、このたび駅名を「東海大学前」に改称するにあたり、このことを永く後世に伝えるため、この碑を建立する。

昭和六十二年三月九日 小田急電鉄株式会社

反対側の北口は細い道に面していて自動車は下を通っています。

空の青さが眼にしみます。

【駅ぶら01】小田急線65 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)