京急横浜駅上りホームにはユニークな自販機(のカバー?)があります。京急1000形ステンレス車体の801号は実際に4両編成で稼働しています。2連で8両編成、3連で12両編成が組めます。

斜めから見ても一応カタチになっています。ある種の”遊び”だとは思いますが、悪くないですよね。

せっかくなので京急1000形電車の801が写っている写真がないか探してみました。過去まで遡って探しましたが唯一あったのは、これは同じ編成の反対側、804です。この編成を後から撮った写真は・・・

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・・・ありましたが、望遠レンズでかなり遠く、少しボケています。それでも京急1000形801です。

あまり意味の無いことに時間を費やしてしまいました。(笑)

これも上りホームです。横浜駅には、JRホームなどを含め、いったい何カ所「崎陽軒」の弁当屋さんがあるのかしら? たぶんスゴイ数です。

中央改札から出ます。流石に利用者が最多というダケあって、入場と出場の改札口が分けてあります。こうしてあれば、少なくとも人の流れはぶつからずに済みます。

改札口の外から。

さらに離れて見ています。これでも人の少ない瞬間を辛抱強く待って撮った1枚なのです。(笑)

さて、ここからは【駅ぶら】ですが、横浜駅と言っても二代目駅舎の遺構を訪ねてみました。

まずは横浜市営地下鉄ブルーラインで高島町駅まで行きました。地上に出て案内図を見るとちゃんと「2代目横浜駅基礎遺構」と黄色いラインを引いた場所に印されています。

現在の横浜駅は「駅の位置」として三箇所目です。初代、日本における鉄道の始まりと共に明治5年(1872年)に作られた初代横浜駅は、衆知の様に現在の桜木町駅です。京急神奈川駅のコラムで書いた様に、その途中に作られたオリジナルの神奈川駅は、現在の京急神奈川駅から現・横浜駅の方に200mほど寄った場所にありました。

ところが鉄道は国策として京都・大阪方面に延伸されてゆきます。その際、新橋方面から来た列車が隣の保土ケ谷駅に向かうために初代横浜駅(現・桜木町駅)の場合スイッチ・バックしなければならない構造でした。

略図で説明すると分かり易いのですが。当時は蒸気機関車ですから先頭車両をいちいち付け替える必要があったのです。これは時間と労力の無駄だとしてオリジナルの神奈川駅からそのまま保土ケ谷駅を直接結ぶ軍用の短絡線が敷かれ、それがその後一般営業用に切り替えられます。

遠距離を走る東海道本線の車両は、短絡線を通り、初代横浜駅をスルーして名古屋・大阪方面に向かったのです。そのため、横浜の利用者は神奈川駅か保土ケ谷駅に出向かねばならず不便でした。

そこで短絡線上に平沼駅が作られましたが、市街地からは離れていたため利用者の利便性は向上しなかったのです。この後廃止された平沼駅は現在の横浜駅西側にありました。

日露戦争後、新たな貨客需要の急増と、東海道本線の初代横浜駅のスイッチ・バックという不便さを解消するために、大正4年(1915年)市街地を通る形で新たに東海道本線が弓形に敷き直され、初代横浜駅は桜木町駅に改称されます。2代目の横浜駅が高島町に誕生したのです。

しかし、大正12年(1923年)関東大震災が横浜を直撃。2代目横浜駅は地震には耐えましたが地震直後に発生した大規模な火災により焼失してしまいました。

地震後の新たな都市計画で東海道本線は神奈川駅~保土ケ谷駅間の弓形ルートを廃し、新たに元の短絡線を復活させる形でより直線的なルートになります。

これにより2代目横浜駅は完成からわずか8年でローカル駅扱いになり横浜駅の名称を失います。現在の場所に3代目の横浜駅が作られました。昭和3年(1928年)のことです。3代目横浜駅は、オリジナルの神奈川駅から至近だったためオリジナルの神奈川駅も廃止されました。

できるだけ簡略に書きましたが、横浜駅三代の変遷、ご理解いただけましたか?

高島町に話を戻します。案内地図のとおりに高島交番を目指します。後の大きなマンションの下に「2代目横浜駅基礎遺構」があります。

マンションのエントランス、その手前に奇妙な空間があったので近寄ってみます。

植栽の横から覗き込むとソレらしき古い煉瓦の構造物がありました。

マンションのエントランスの方に回り込むと案内看板がありました。

二代目横浜駅と表示されています。

二代目横浜駅のどの部分にあたるのか印されています。丸ノ内東京駅に似たデザインだったのですが規模も大きかったのです。

階段の下に古い煉瓦の基礎遺構がL字形に残されています。

奥の方から見るとこんな感じです。基礎の遺構を見て往時を想像出来るほど建築の知識はありませんが、大正4年(1915年)からの時間がこの場所には流れているのだと、いささか感傷的になりました。

横浜市営地下鉄ブルーラインの高島町駅に戻ります。流石に地上70階の横浜ランドマークタワーは目立ちます。

駅の遺構というものを初めて見ました。レールがないので建築物の遺構ですが、何とも不思議な感慨を覚えました。駅は人生が通過し交錯する場所。たった8年という長くない日々で、この二代目横浜駅を通り過ぎていった多くの人々は、もうこの世にいないのです。

【駅ぶら03】京浜急行49 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)