トップ画像は、金沢検車区の写真です。流石に逸見駅での車両の写真が品切れになりました。

浦賀道の強烈な下り坂を下りて、角を曲がった瞬間に逸見子育地蔵尊がありました。江戸時代、元禄年間に、浦賀道のこの場所で子供を連れた旅人16人が飢餓と疲労で行き倒れました。ソレを哀れんだ村人が冥福を祈って地蔵を祀ったことが始まりと言われています。

祠に貼られていた説明書を参照します。

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旧浦賀街道の逸見から汐入に抜ける一帯を稲荷山と言い、逸見と汐入の境に稲荷社が祀られていた。訪れる者も無く朽ち果てるに任せていたが逸見の有志がこれを横須賀駅裏国道ホンダモーター脇の防空壕跡に遷した。この稲荷があることから稲荷山と呼ばれる様になった。

※筆者注:JR横須賀駅西側の国道16号線沿いに(有)横須賀ホンダ商会があり、その北側の崖に古い施錠された洞の様なものが存在しますが、そこに稲荷社が有るか否かは確認できませんでした。

稲荷山の逸見からの山腹道脇に地蔵尊が祀られ、土地の人は子育て地蔵尊と呼ぶ。本尊には元禄十一年丑七月日、右に南無阿弥陀仏 同行十六人と彫られている。しかし明治・大正と荒れ放題になっていたものを昭和8年(1933年)二月に東襄氏(現・伊豆大島在住)が現在のコンクリート建ての洞にした。 東逸見第一町内会 子育て地蔵保存会

…と書かれています。(内容は変えていませんが、表現など一部を簡略化しています)

確かに洞に架けられた額にも「東逸見第一町内会」と記されています。新しい花が手向けられていて、掃除も行き届いています。

昭和8年築の洞。中には首の欠けたお地蔵さんなども収められています。

お地蔵さん以外のものもある様ですが、筆者には分かりません。

逸見子育地蔵尊を背にして正面を見ています。赤い矢印の先に京急電車が小さく写っています。その左側に逸見駅がある様です。

逸見子育地蔵尊の坂道を降りて行きます。確かに舗装されていない時代には、かなりの難所だったと思います。

逸見駅方面から来た場合、この様な感じで坂の下から逸見子育地蔵尊の洞は見え難いです。詣られる場合はご注意ください。

さらに坂道が続きます。

苔が綺麗ですが、滑りそうです。

ようやく下に着きました。浦賀道を示す案内は見当たりませんでした。

道なりに進んで、逸見駅から国道16号線につながる道路に出ました。ウェルシティ横須賀が見えたので自分の居る場所が分かります。工事をしている奥のフェンスの右側から出て来ました。

ウェルシティ横須賀と反対には京急本線のガードが見えました。ガードの右側に逸見駅があります。レトロな雰囲気の商店街を歩きます。なかなか良い感じです。ゆっくり再訪したいな。

逸見駅に到着、JR横須賀駅からは1時間半ほどかかりました。写真を撮りながらウロウロしましたし、膝をかばって坂道や階段をゆっくり歩きましたから。健脚の方なら50分位ではないかな。

次の汐入駅でも鬼の様な階段を登ります。

【駅ぶら03】京浜急行86 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)