砕けて後はもとの土くれ【駅ぶら03】京浜急行155
トップ画像は油壺湾の眺め。「かながわの景勝50選 油壺湾」の石碑。左奥は三崎マリン。
京急三崎口駅前バスロータリーから乗ったバスが終点の京急油壺マリンパーク停留所に到着。片道280円、20分ほどでした。乗客はほとんど筆者一人。
運転士さんが「お客さん、マリンパークは臨時休館ですよ」と乗車前に注意してくれました。着いたら「店もやってないし何をするんですか?」と尋ねられたので「三浦一族が亡んだ新井城址を見に行きます」と応えたらとても興味を持たれたらしく「私(運転士さん)は最近、都内から転勤してきたのでこの辺りのこと全く知らないんですよ・・・」と色々と訊かれたのでとりあえず知っているレベルのことを伝えました。
発車時刻になってバスは三崎口駅に戻って行きました。運転士さんは「休みの日にこの辺を散歩してみます」と言ってました。
京急油壺マリンパークです。
玄関に臨時休館のお知らせがありました。コロナ・ウィルスです。
ホテル観潮荘の前を通ってゆきます。パラパラと駐車しているのは「たぶん、日帰り温泉でしょう」とバスの運転士さんは言ってました。
ここから新井城址に向かいます。
右に東京大学理学部付属臨海実験所寄宿舎があります。
誰もいません。静かです。
木々の間から油壺湾が見えます。時折、缶を叩く様な奇妙な音がします。聞き覚えがある音です。伊豆大島の波浮港、廃校になった波浮小学校での現在美術集団展を手伝いに行って元音楽室で徹夜で作業を手伝っていた時、しきりにこの不思議な音が聞こえたので翌日、島の方に訊いたらタイワンリスだということでした。
注意深く探していると、樹上にいるタイワンリスを見つけました。空を低くトンビが飛んでいるので警戒音を発していた様です。一瞬じっとしていましたが、すぐに見えなくなりました。しっぽまで入れると40cmくらいあって大きいのですが、そのわりにかなり素早い。
すぐに建物がありました。表札は「東京大学地震研究所 油壺地殻変動観測所」でした。
その先に立入禁止の区域があって、そこが目指して来た新井城址でした。残念ですが入れません。
三浦市の案内です。
内容は以下。
新井城址
三浦一族滅亡の地である新井城は、面積約128ヘクタールの自然をそのまま利用した要害でした。
相模湾に突き出したこの一帯は、小網代湾と油壺湾にはさまれ、三方が海に面した断崖であり、陸路は北方約3キロメートルの大手の引橋のみであり、この橋を切って落とせばどこからも攻めこまれないようになっていました。
引橋は後に地名になりましたが、ここで伊勢新九郎(北条早雲)勢は、橋を引かれて渡ることが出来ず、三浦勢に時を稼がれています。
現在は、関東大地震による隆起で、往時の面影はうすらいでいますが、当時としては多くの軍勢をもってしても攻めがたく、わずかの手兵で三年間籠城することができました。三浦一族の奮闘もさることながら、城としても、守りにすぐれた構えであったといえます。
室町時代の居館としての新井城の遺構は、本丸を中心にめぐらされている空堀や土塁に往時を偲ぶことができます。
・・・と言われても、立入禁止では如何ともし難く、往時を偲ぶことができません。柵の隙間から望遠レンズで撮ってみると外灯や低い柵の様なものが見えました。空堀と奥は土塁の様に見えます。
残念ながら新井城址は立入禁止でした。主に東大研究施設の敷地内なので仕方がないのでしょう。もう少し先まで歩いてみることにします。
【駅ぶら03】京浜急行156 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)