つくばエクスプレス【駅ぶら】006 新御徒町駅 佐竹商店街散歩 その2 伊予大洲藩主加藤家 上屋敷跡
※2025年6月撮影
トップ画像。風鈴屋さんを出て佐竹商店街を歩いて行きます。
歴史のある商店街だけあって、魅力的なお店があります。これはお煎餅屋さん。
※2025年6月撮影
ホルモン肉店。珍しい専門店です。
※2025年6月撮影
筆者の両親は関西出身なので「ホルモン」という食肉について「放るもん」(=捨てるモノ)という話を聞いたコトがあります。どうやら関東では、ホルモンは、牛の大腸を指すことが多い様ですが、このお店は「関西風 牛モツ」となっていました。
佐竹商店街は続いていきます。
※2025年6月撮影
インド料理屋さんもあります。
※2025年6月撮影
ここは懐かしい感じの文房具店。筆者が子供の頃に通ったお店の様です。
※2025年6月撮影
明治初期に創業したという日用品のお店。現在は四代目のご主人です。
※2025年6月撮影
ここが佐竹商店街の南端。商店街は、約330メートルくらいだったでしょうか。
※2025年6月撮影
御徒町公園の方に歩いて行きます。ビルの間にこんな魅力的な住宅も残っています。物干し台がすごく懐かしい。
※2025年6月撮影
御徒町公園です。新御徒町駅から500メートル弱。
※2025年6月撮影
普通の児童公園の様ですが・・・。
※2025年6月撮影
実は台東区内に15ヵ所ある「復興小公園」の一つで、1931年(昭和6年)に開設されました。関東大震災の際に公園緑地や広場が延焼を止めたことにより、東京市は震災の焼失地区に52ヵ所の復興公園を整備したのです。
※2025年6月撮影
台東区のサイトに拠れば、御徒町公園は、元加藤子爵邸敷地の一部です。
つまり新御徒町駅構内壁面に家紋「蛇の目 加藤出羽守」のあった伊予大洲藩主加藤家の上屋敷跡なのです。
公園の北西角にある「加藤八幡神社」は、おそらく伊予大洲藩主加藤家の邸内神社だったのではないでしょうか。
※2025年6月撮影
神社の横には、大名屋敷の風情を残す典雅な日本庭園が広がっています。
※2025年6月撮影
神社の脇に台東区の「旧町名由来案内」があります。
※2025年6月撮影
その内容を写します。
「下町まちしるべ 旧御徒町
この付近一帯は、徳川三代将軍家光(1623~1651)のころ徒士(かち)組の屋敷地であった。徒士組とは、徒歩組・歩行衆ともいわれ、徒歩で主君にお供したことにもとづく呼称である。江戸幕府の職制では若年寄に属し、その職務は、将軍外出の際の沿道警備・江戸城中玄関廊下の警戒であった。
この地は、江戸末期に至るまで徒士組の屋敷が多かったことから、御徒町・徒町と呼ばれるようになった。明治5年(1872)徒士組屋敷および周辺の武家屋敷などを併せ、御徒町は正式に誕生した。
文化文政(1804~1830)のころ、この付近では朝顔作りが盛んであった。今でこそ朝顔と言えば入谷であるが、この地こそ朝顔作り発祥の地である。」
朝顔作り、御徒町が発祥の地とは知りませんでした。
次回も、散歩は続きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024
るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日
つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日
つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日
つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他