(前回)【北海道の鉄道発祥地 幌内線・鉄道遺産を訪ねて (1)】1,000円で宿泊可能なライダーハウスに転用された「萱野駅」
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幌内線廃線跡は、かつての主要路線であり、鉄路を失った現在も「鉄道の街」として息づいています。「北海道の鉄道発祥地 幌内線・鉄道遺産を訪ねる旅」第2弾は、朽ち果てた駅舎を地域の方々が管理し、コミュニティの場として活用している「唐松駅」を紹介します。

納屋のようなギャンブレルの屋根

唐松駅は、近隣で操業していた住友坂炭礦(現・住石マテリアルズ)の請願駅で、幌内線全線開業から41年後の1929(昭和4)年12月15日に開業しました。駅舎はギャンブレルと呼ばれる将棋の駒のような形をした屋根を持ち、農家の納屋のような雰囲気を漂わせています。この地域で採掘される石炭を搬出するための貨物用の駅として開業し、翌年に一般駅になりました。

現存する旧幌内炭鉱の立坑櫓

開拓期に沢沿いで木材を切り出していた藤松氏にちなみ、周辺の炭鉱は藤松沢炭砿、藤松炭砿と呼ばれ、住友に買収されてから唐松炭砿と名付けられたことにより、駅名もそれに従ったと言われています。幌内線廃止後も駅舎は残されていたものの、管理されることなく朽ち果てようとしていました。

森の奥から列車が現れそうな雰囲気

その姿に心を痛めた有志らによって2003(平成15)年に駅の手入れを開始しました。積雪で曲がった屋根を直し、プラットホームに溜まったゴミを捨て、落書きも消されました。思い出を留めるように、待合室には在りし日の写真や、幌内線関連の備品が飾られています。

朝夕にウエートが置かれたダイヤ

かつてはヤードが広がっていましたが、1973(昭和48)年8月30日に、北斗興業新三笠炭礦閉山により専用線が廃止、1981(昭和56)年5月25日に貨物・荷物の取り扱いが廃止されたため、幌内線廃止時点では単式ホーム1面1線になっていました。廃止前の時刻表を見ると1日7往復運行しているものの日中の運行は皆無。おもに通勤・通学の足として利用されていたことが分かります。

三笠市は北海盆歌の発祥地

展示資料によると、旧唐松駅前で15年ぶりに「こども盆踊り」が開催されたこともあるようです。幌内線が廃止されてから生まれた子供たちの目に唐松駅は、どのように映っていたのでしょうか。

いつまでも残る思い出の地

鉄道が廃止されると、駅は取り壊され、線路も剥がされ、鉄路の形跡が失われていきます。唐松駅は全国から炭鉱の仕事を求めて多くの人が降り立ったと言います。かつての住民には思い出の地として、鉄道の時代を知らない子どもたちには、世代を超えたコミュニケーションの場として存在し続けることでしょう。

文/写真:吉田匡和

【北海道の鉄道発祥地 幌内線・鉄道遺産を訪ねて (3)】は2020年7月25日(土)10時頃の掲載を予定しています。(鉄道チャンネル編集部)

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