総武線の下り電車に乗って、津田沼駅を出てすぐ、左に見えるイトーヨーカドー津田沼店。

このイトーヨーカドー前にある津田沼1丁目公園に、大日本帝国陸軍の蒸気機関車がいる。

看板には「K2形 機関車 134号」と記されている。

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「この蒸気機関車は、かつて、ここ津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです」

「この度、西武鉄道(株)ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです」

大日本帝国陸軍の鉄道連隊は、戦地で鉄道の敷設・補修・運転・破壊に従事した部隊。人員や物資の輸送を支える役割を担っていた。

その始まりは、1895(明治28)年の日清戦争で臨時鉄道隊を編成したことから。まずは東京・牛込に鉄道大隊を常設し、次に東京・中野に転営。

日露戦争後の1906(明治39)年には、鉄道大隊派遣隊が、総武線津田沼駅から大久保 騎兵連隊前を経由し、習志野俘虜収容所跡地へいたる軽便鉄道を敷設した。

こうした歴史から、「鉄道連隊ゆかりの地」であるここ津田沼に、K2形134号が保存されているという。K2形蒸気機関車の製造は、川崎車輌。いまの川崎重工業兵庫工場。

K2形134号は、陸軍鉄道第2連隊で教育訓練や輸送などで活躍。こうした蒸気機関車や線路は終戦後、民間企業などに払い下げになり、K2形134号は西武鉄道の線路を走ることに……。

ユネスコ村(埼玉県所沢市)は、かつて西武鉄道が運営していた遊園地。西武鉄道での仕事を終えた K2形134号 は、こんどは子どもたちが遊ぶ園内で“第3の人生”を送り、1990(平成2)年にユネスコ村が閉園し、古巣の津田沼へ戻ってきた。

―――満州行きを逃れ、津田沼の演習線を走った小さなSLは、所沢で第2・第3の人生を送り、再び津田沼へ戻ってきて、いまこうして人の往来をじっとみつめている。