大阪環状線 弁天町~大正の間を電車で行くと、妙な立体交差と、線路のない分岐路がみえてくる。

Googleマップで港市岡郵便局付近上空をみると、その線路のない分岐路が直線を描き、そこを立体交差で乗り越えるように、大阪環状線の外回り線路が敷かれている。

この直線路が、大阪臨港線の線路跡。かつては関西線の支線としてつくられ、今宮駅から分岐して大阪港などへと線路がのびていた。

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のちに大阪環状線ができると、大阪臨港線の一部区間が大阪環状線とよばれ、大阪臨港線は現在の弁天町~大正の立体交差付近にある境川信号場から先を通称し、大阪環状線支線として残っていった。

画像↑↑↑は国土地理院1979年の上空写真。大阪臨港線 浪速駅を上から見たところ。

画像上の緑の敷地が現在の杉村ゴルフセンター。そのゴルフ練習場の右にある鉄橋が、三十間堀川橋梁。

今宮方からやってきた貨物列車は、この三十間堀川橋梁をわたり、浪速駅の広大な貨物ヤードに入ってきた。

さらにその先、天保山運河を天保山運河可動橋梁でわたる。その名のとおり、船が通るときに線路が上昇する可動橋だった。

大阪港駅へとむかう線路は、ここから右へカーブし、現在の住友倉庫大阪支店南岸営業所付近へと到達していた。

この大阪港駅は、JR京葉線の千葉みなと駅と同じく、おおさかみなと駅という。

画像↓↓↓は国土地理院1975年の上空写真。天保山運河可動橋梁の右に大きな船が2隻。1隻はドッグのなか、もう1隻は海上にいる。ここがおそらくかつての大阪造船。

―――1928(昭和3)年に開業し、2006年に廃止した大阪臨港線。

この浪速駅付近は、流通・物流の拠点へと変わり、大阪臨港線の名残はその境界地形や自動車道路のカーブにある程度。いま歩いてみると、細かいところに臨港線の痕跡をみつけられるかも。

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