ブロック積みなので【なんちゃって木造駅舎カタログ】紀勢本線25/194 田子駅
※2020年12月撮影
トップ画像は、紀勢本線田子(たこ)駅。駅舎はブロック積みで作られています。木造駅舎ではありません。だから【なんちゃって木造駅舎カタログ】。(笑)
駅舎の前に熊野古道大辺路の案内が立っています。建物財産標がありました。記載は「昭和34年3月」。紀勢本線が全通した年の建物です。
駅前は坂道です。小雨が降ってきました。時刻は15時。流石にこの日の撮影はこの駅までにしました。
※2020年12月撮影
田子駅は、1954年(昭和29年)国有鉄道紀勢西線の駅として開業。1959年(昭和34年)現在の駅舎が建てられました。同年、全通した紀勢本線の所属駅になります。1985年(昭和60年)駅は無人化。
これは1980年(昭和55年)に成立した日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)を受けて全国的に実施された駅無人化の一環です。これらの努力で国鉄旅客営業部門は1986年(昭和61年)には3,663億円の営業利益を計上しました。しかし国の無策による累積債務が37兆円を超え支払う利子だけで年1兆円を超えていました。国が40万人の職員を抱える国鉄をお荷物扱いしてきたことは国鉄分割民営化を研究・分析した多くの書物に生々しく書かれています。
それでも戦後に採用された世代の定年退職で1985年に国鉄職員は30万人を切るまでに減り、国鉄分割民営化でJR各社に移行した職員は20万1千人でした。
話を紀勢本線に戻します。田子駅は国鉄分割民営化でJR西日本に引き継がれました。単式ホームの列車交換ができない駅です。
※2020年12月撮影
駅出入口。待合室にはシャッターのしまった出札窓口が残っていました。
※2020年12月撮影
この日は、串本駅まで戻って駅前のビジネスホテルに投宿。ホテルには天然温泉があって暖まりました。写真は翌朝の串本駅。前日は天候が悪く小雨まじりでしたが、嬉しいことに太陽が出ています。
※2020年12月撮影
木造駅舎に向かって国道42号線を西に走って昨日の田子駅入口まで来ました。
※2020年12月撮影
田子駅の再撮はしませんでしたが国道から駅名標が見えたので激写。(笑)
※2020年12月撮影
この日最初の駅に来てビックリ。和深駅は事前にこの撮影を計画したときには木造駅舎があったのです。半年前の2020年6月に新しいコンパクトな駅舎に建て替えられていました。
※2020年12月撮影
※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。
(写真・文章/住田至朗)