※2021年09月撮影

【木造駅舎カタログ】は和歌山線に続いて中央本線です。

トップ画像は、中央本線高尾駅。何とも端正な神社仏閣風の木造駅舎です。

2歳から小学2年生の夏まで筆者は中央線阿佐ケ谷駅を使っていました。1961年(昭和36年)に営団地下鉄荻窪線南阿佐ケ谷駅(現・東京メトロ丸ノ内線)が開業して以降は、南阿佐ケ谷駅の方が自宅に近かったので新宿方面に出かける際は主に丸ノ内線を使いました。それでも吉祥寺に行くには中央線で行きました。幼稚園まで青梅街道上には荻窪まで都電が走っていました。

この「中央線」という名称は、専ら東京駅~高尾駅間を走るオレンジ色の電車のコトを呼ぶ言葉でした。当時、冬になると新宿駅でスキー板を担いで行列を作っていた青年たちが乗るのは「中央本線」でした。

今回木造駅舎を撮るのはこの「中央本線」の方です。

筆者は、長い間中央本線は新宿駅が起点であると思っていました。しかし中央本線とは東京駅から名古屋駅までの396.9kmなのです。話がややっこしいのは、国土交通省監修『鉄道要覧』で東京駅~神田駅間は東北本線、代々木駅~新宿駅間は山手線なのです。

歴史の話は長く複雑になるので省略します。必要な場合は、該当する箇所で説明します。

いわゆる中央線のほとんどの列車が終点となるのが高尾駅です。(一部大月駅まで運行される快速電車もあります)とりあえずはJR東日本の電車の区間を進みます。

※2021年09月撮影

高尾駅は、1901年(明治34年)国有鉄道の浅川駅として開業。当時の駅所在地は「東京府南多摩郡浅川村」でした。1909年(明治42年)線路名称制定で中央東線、1911年(明治44年)からは中央本線の所属駅になります。1927年(昭和2年)に現在の二代目木造駅舎が作られました。出雲大社へのアクセス駅として建設された大社線(1990年/平成2年廃止)の大社駅(同)を設計したデザイナーの手によるものです。2004年(平成16年)大社駅は国の重要文化財に指定されています。これがその大社駅です。

※2014年12月撮影 大社駅

浅川駅は、1961年(昭和36年)高尾駅に改称。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東日本の駅になりました。1997年(平成9年)「関東の駅百選」に選ばれています。

1967年(昭和42年)京王線の高尾山口駅が開業してからは世界一の登山者数(数年間260万人)と言われる高尾山登山客のかなりの部分が京王線を利用する様になったと思われます。

筆者も小学生の時は旧国鉄高尾駅から路線バスで高尾山麓まで行った様に覚えています。

高尾駅は線路の北側に駅舎があります。北口バスターミナルが西側にあります

※2021年09月撮影

青春18きっぷで信州方面に向かう時に高尾駅で中央本線甲府行電車に乗り継いだコトが何度もあって、その時に北口を出てコンビニで買物をしたのでこの風格のある木造駅舎を眼にして最初は驚いたコトを覚えています。

※2021年09月撮影

路線バスが到着してバスを降りた人たちが駅に向かっています。

※2021年09月撮影

駅舎本屋の西側は店舗になっています。

※2021年09月撮影

高尾駅の北側には国道20号線甲州街道が通っています。国道への道から。

※2021年09月撮影

駅出入口。

※2021年09月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)