※2022年1月撮影

トップ画像は、小湊鉄道海士有木(あまありき)駅。何とも不思議な駅名(地名)です。最初に小湊鉄道に乗ってこの駅を通った時にも駅名標を撮影した記憶があります。

小湊鉄道さんのホームページには、「海士(あま)と有木(ありき)が一つになって、この地名がつきました。海士は、その昔漁夫(海人)の集落、有木のほうは附近に有木城(蟻木城とも書く。現在の泰安寺)があったため、その名がついたと云われております。」と書かれています。

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しかし海から10kmほども内陸に入ったこの地に漁師の集落があったというのはどう考えても不自然です。古代縄文系人の海人族が住んでいたという説の方が説得力がある様に感じます。

有木は、戦国時代、北条勢(後北条氏)が上総に攻め入り蟻木城(有木城)を築城し里見氏とにらみ合ったことが始まりです。里見氏に攻められて蟻木城(有木城)は落城。しかし有木地区に城のあった痕跡が多く残り地名になったと伝わっているのです。

明治時代に、海士村と有木村が一つの海士有木村になり現在の海士有木になった様です。

駅前広場の東側は駐輪場になっています。駅舎の西側には引き込み線があります。

※2022年1月撮影

西側から。右奥の小屋は、駅のトイレ。

※2022年1月撮影

広告看板が立っていますが、東は耕作地というより空き地という感じでした。

※2022年1月撮影

登録有形文化財の案内。

※2022年1月撮影

内容概略。

「開業当初からの木造駅舎。大正14年建造。設計・施工は鹿島組(現・鹿島建設株式会社)。木造平屋、寄棟造。屋根は瓦葺き、外観は洋風下見板張り。昭和7年頃に北側に1間半の庇を増築。3畳間を4畳半に改築。待合室の出札口、手荷物扱いカウンター、東側壁際のベンチなどは建築時のもの。外観は開業時の佇まいをよく伝えている。」

これまでほとんどアップを撮っていなかったので出入口部分の庇の骨組み。

※2022年1月撮影

駅舎出入口。駅名板が辛うじて読めます。

※2022年1月撮影

乗車券販売機はありますが、上総山田駅にあった列車の到着案内はありません。相対式ホームには数段の階段で上がります。

※タイトルは『木造駅舎』となっていますが、厳密に「構造として木造建築」の駅舎だけをとりあげているワケではございません。あくまでも筆者が気に入った駅舎を恣意的に選ばせていただいています。外観が明らかに木造建築と異なる場合でも、煩雑を避けるためタイトルは【木造駅舎カタログ】のまま進行いたします。悪しからずご了承ください。

※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)他を参照しています。

※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道を撮影する時は感謝の気持ちを伝えましょう。ありがとうございます。

(写真・文章/住田至朗)