※2022年3月撮影

トップ画像は、JR東海飯田線柿平駅、豊橋側の踏切から。ご覧の様に狭い単式ホームに人があふれています。

新城駅から約30分で柿平駅に到着。列車交換はありませんが、5分間停車します。

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トップ画像の踏切側が駅出入口になります。駅前には民家があります。駅周辺の人口は、駅を中心にした半径500mの円内に11世帯31人が暮らしています。(国勢調査 2010年/平成22年)秘境駅というにはやや住民が多い様です。

※2022年3月撮影

とにかく普段人気の無いホームが秘境駅号の乗客で賑やかになります。おそらく日常的にはまず見ることの無い風景でしょう。

※2022年3月撮影

現在の柿平駅は、二代目。初代は、1929年(昭和4年)鳳来寺鉄道柿平停留場として開業。1943年(昭和18年)国有化された時に廃止されました。1950年(昭和25年)国鉄飯田線の柿平駅として再開業。国鉄分割民営化でJR東海に継承されています。

※2022年3月撮影

ここで飯田線の歴史を簡単に振り返っておきます。元は、豊川鉄道(豊橋駅~現・大海駅)、鳳来寺鉄道(現・大海駅~三河川合駅)、三信鉄道(三河川合駅~天竜峡駅)、伊奈電気鉄道(天竜峡駅~辰野駅)という4つの別々の会社の路線を戦時国有化・統合(豊橋駅~辰野駅間195.7km)したものです。民鉄発足時からほぼ全線が電化されていました。

民鉄の発足時に集落毎に駅を設けたことなどから旧国鉄地方路線として駅間が短く、起終点を含め94駅もあります。同時に地方鉄道法の簡易な規格で建設されたため急カーブ・急勾配も多く運行速度が低いのが特徴。愛知県、静岡県、長野県に跨がる険しい山岳地帯を走っているために大小138本のトンネルと多くの橋梁があります。

特に現在も秘境駅が多い三信鉄道(三河川合駅~天竜峡駅)区間は、中央構造線の脆い地層、天竜川峡谷の断崖絶壁で工事は難航。しかし天竜川の水力発電を計画していた電力会社が強力にプッシュ。鉄道史に残る凄惨な工事を完遂したのは戦後に熊谷組として独立した熊谷三太郎氏でした。

乗車記念パネルを撮ることができました。

※2022年3月撮影

ホームの待合室にあった時刻表。平日・土休日の時刻はほとんど同じです。上り方面は、朝8時16分から16時5分までの間に2本の運行のみ。下り方面も9時47分~18時2分の間に3本と多くはありません。

※2022年3月撮影

停車時間5分はあっと言う間に終わって、皆さん急いで乗車します。

※2022年3月撮影

飯田線の歴史を振り返っていたら長くなったので柿平駅から10分で到着する東栄駅は次回です。

※木造駅舎などJR東海さんの許可をいただいて撮影しています。

※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)他を参照しています。

※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道を撮影する時は感謝の気持ちを伝えましょう。ありがとうございます。

(写真・文章/住田至朗)