真夏の入道雲と青い空、白いボディに青い帯の新幹線。地上と上空が同じトーンのここは、大阪 鳥飼車両基地。

画像は11年前の2011年、700系がいたころ。車両基地の門へと続く歩道からみえる角度。

このあたりは、この鳥飼車両基地のほかに、隣接するJR貨物 大阪貨物ターミナル駅や、安威川の対岸(北西側)に阪急電鉄 正雀工場・正雀車庫が、その先には、JR貨物 吹田貨物ターミナル駅が、さらにその先にはJR西日本 吹田総合車両所・JR貨物 吹田機関区などがある。

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また、鳥飼車両基地の南、淀川の対岸(南側)には大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)大日乗務所・大日検車場があり、鉄分いっぱいの街歩きができる。

ちなみに、正雀車庫があるエリアは、住所も大阪府摂津市阪急正雀と記し、地名にもなっている。

では、ここ鳥飼車両基地の鳥飼という地名には、どんな由来があるか。

摂津市の資料には、こんな解説がある。

(以下、摂津市資料を引用)

統一国家が形成される時期、同族集団を氏族と呼び集団の族長的立場の首長が氏上(ウジノカミ)として一般の氏人(ウジビト)や、その私有民である部民・奴婢を支配していく体制が整備されていきます。

部民は、支配者に物資や労役を提供する義務があり、集団ごとに大伴部・中臣部のように豪族名、鳥養部・錦織部のように職能名、三嶋部のように地名などをつけて呼ばれました。

日本書紀には、「垂仁天皇の王子であるホムツワケノミコトが30歳になるまで一言も口をきかなかったが、ある者が鵠(クグイ)を献上し、遊ぶうちに言葉を発し、その快挙をたたえて鳥養部を設置した。」という記載が見られます。

摂津市以外にも淡路国津名郡・筑後国早良郡などにも鳥飼という地名が見られます。これらの地域は、古代の鳥養部と関係があるのではないかと考えられています。

(以上、摂津市資料を引用)

―――なるほど。鳥養部の存在か。

こうした当時の人たちの営みを想像しながら、鉄分濃いめの街をゆっくり歩くのも、きっと楽しい。

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