※2023年5月撮影

トップ画像は、烏山神社境内から北側、これから京王線を越えて旧甲州街道の方に歩きます。

神社を出てすぐ、路傍に小さな石仏がありました。

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※2023年5月撮影

右には「先祖」という文字があるので墓石かもしれません。左は剥落が激しくてよく分かりません。

その石仏の前に「念佛堂・薬師堂」があります。

※2023年5月撮影

お堂の方にいただいた「武州烏山村 念佛堂・薬師堂・略縁起」によれば、室町時代このエリアを治めていた世田谷(東条)吉良氏が烏山村に「栴澤寺(せんたくじ/泉沢寺)」を開設。天文十八年(1549)にお寺は火事で焼失しましたが再建されずに川崎市に移されます。

荒野となった跡地には泉沢寺の守護神白山社の祠(現在の烏山神社)と薬師堂が残されました。この薬師堂が近隣住民の無病息災・健康長寿を祈願する場所となったのです。徳川家康の江戸幕府開設以降は念佛堂としても村民の崇敬を集めてきました。

「念佛堂・薬師堂」に入ると石仏が並んでいます。

※2023年5月撮影

左の屋根の下に置かれているのは「南無阿弥陀仏講」と彫られた「念仏塔」。元禄2年(1689)に造られたものです。

※2023年5月撮影

並ぶ石仏。手前左から六基は「武刕多摩郡烏山講中」と彫られた「六地蔵」。その右2基は「馬頭観音」。素晴らしいので見入ってしまいました。

※2023年5月撮影

右の屋根の下には、江戸時代中期~後期の「釈迦涅槃石像」と「地蔵菩薩石像」。その右の黒い石柱には「烏山小学校誕生の地」と刻まれています。

※2023年5月撮影

明治五年(1872)学制発布の翌年、この地に烏山小学校の前身「温知学舎」が造られたのです。

「念佛堂・薬師堂」で少し休憩させていただい復活。

南に歩いて京王線の公道踏切です。手前両側は「連続立体交差事業」の工事中。

※2023年5月撮影

踏切から西側、千歳烏山駅はかなり離れています。

※2023年5月撮影

むしろ東側には芦花公園駅のホームが見えます。距離的には芦花公園駅の方が近そうですね。

※2023年5月撮影

旧甲州街道に向かいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)