烏山神社参拝【駅ぶら】06京王電鉄 京王線064
※2023年5月撮影
トップ画像は、烏山神社境内。拝殿は右奥。正面は左(東)になります。
正面にまわって鳥居の外から。
※2023年5月撮影
2006年(平成18年)4月、正面鳥居周辺は玉垣の工事中でした。
※2006年4月撮影
平日の午後、神社境内は閑かです。
※2023年5月撮影
神様にご挨拶する前に手と口を浄めます。
※2023年5月撮影
境内社の稲荷神社。小学生の頃、秋祭りの時は地面が見えないほどの出店がビッシリ並んでいました。烏山に住んでいた頃は家族で初詣に来ていました。
※2023年5月撮影
神様にご挨拶します。
※2023年5月撮影
境内の南東の端に庚申塔が並んでいます。
※2023年5月撮影
中央には「春日神社高橋番神堂撤去記念碑」があります。
※2023年5月撮影
碑には以下の様に刻まれています。
「高橋一族は戦国時代に伊豆雲見城より当地に移り住み一族の守護神として三十番神様を南烏山二丁目二七四番地に勧請す
爾来星霜を重ねる事四百年今度の都市計画整理地に当り昭和六十年四月十七日に諸神それぞれの御本宮に御帰りを願う祭りを修して後御堂を撤去し当烏山神社境内に記念の詞を記す
昭和六十年七月吉日 建之」
昭和60年は、1985年。ほぼ40年前のことです。筆者は粕谷二丁目に住んでいました。
右の庚申塔。青面金剛、三猿がハッキリ分かります。左下に「貞享三年五月」と刻まれています。1686年、江戸時代初期です。高さは1m以上ある大きな塔です。
※2023年5月撮影
左側の庚申塔。右よりも少し小さめ。やはり左下に「宝暦十三年」と辛うじて判読できます。1763年なので江戸時代中期。
※2023年5月撮影
玉垣の脇にも小さな庚申塔がありました。
※2023年5月撮影
右の青面金剛、三猿が分かる方は右下に幽かに「宝暦二年」(1752年)と読めます。左は三方に三猿が刻まれています。下部に施主の名前が刻まれていますが造られた年月は分かりませんでした。
庚申塔の好きな筆者にはとても楽しい時間でした。
次回も千歳烏山散歩が続きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)