※2023年6月撮影

トップ画像、「釣り堀」からゴルフ練習場の下を抜けて柴崎駅の方に向かいます。

テニスコートもあります。

※2023年6月撮影

ここがゴルフ練習場「釣り堀」テニスコートのオーナーさんに教えていただいた先代(オーナーのお父上)がいらっしゃる居酒屋とスーパーの並んだお店。

※2023年6月撮影

お目にかかったのは、既に登場された小川一洋(かずひろ)さん、1944年(昭和19年)生まれとおっしゃっていたので筆者の一廻り上の同じ申年です。

ずいぶん長い時間、お話しを聞かせていただきました。長くなるので要点を書きます。

柴崎で代々農業をされているお家で、「釣り堀」を始める以前は、農家。牛を50頭飼っていました。1968年(昭和43年)に結婚された奥様も登場されました。結婚の翌年1969年(昭和44年)に「釣り堀」を始められました。当初は300坪の池が3つ、現在のゴルフ練習場もテニスコートも全て「釣り堀」でした。つまり「釣り堀」は、54年目です。その後、テニスコート(何時だっけ?と奥様に訊かれましたがどうやら現オーナーの御子息が始められた様です。)、1993年(平成5年)頃にゴルフ練習場を作って「釣り堀」は当初の10分の1くらいになってしまったそうです。

既に書きましたが、当初路面電車だった京王線は甲州街道を走っていて、現在の線路は小川さんの畑だった場所を走っているそうです。小川さんご自身は、現在の京王線しか知らないよ、と笑っていらっしゃいましたが。

小川さんのお店を辞去して柴崎駅の方に歩きます。柴崎駅前郵便局、奥に下りホームが見えます。

※2023年6月撮影

柴崎駅南口に戻ってきました。

※2023年6月撮影

ここからは別の日の撮影です。北口から甲州街道の方に歩きます。

※2023年6月撮影

梅雨の晴れ間でしたが、異様に暑い日でした。(笑)右に行きます。

※2023年6月撮影

甲州街道に出て「PCデポ」の方に歩きます。

※2023年6月撮影

筆者が千歳烏山に住んでいた頃、PCの消耗品を買いに何度か来た事があるお店です。黄色い矢印が「調布市指定郷土資料(民俗資料)の地蔵菩薩立像(妙円地蔵)」の社です。

※2023年6月撮影

もしかすると「PCデポ」の建物が新しくなったのかも知れません。筆者はこの地蔵菩薩の記憶はありません。

※2023年6月撮影

これが「地蔵菩薩立像(妙円地蔵)」。

※2023年6月撮影

右側に立つ調布市教育委員会の案内の内容を写します。

「妙円は、若くして金子村(菊野台)の新助に嫁いだが、恵まれない境遇のうえに両眼を失明した。その後、自ら悟るところがあって尼になり、寿量妙円(じゅりょうみょうえん)と号した。

そして村人のために毎日路傍で鉦(かね)をたたき、念仏を唱え続け、多くの人々から受けた浄財をもとに文化二年(1805)この地に悲願の地蔵菩薩像を建立した。その後も妙円は菩薩像のそばで念仏三昧の日々をおくり、村人に頼まれては加持祈祷を行った。それは必ず効験があったと言い伝えられている。

妙円は、自分の死ぬ日を予告していたが、実際には一日遅れて文化十四年(1817)十月二十九日、安らかな往生をとげたという。このことは、瀧澤馬琴がその著「玄同放言」に紹介したため、一躍江戸近在にまで有名になった。

妙円の墓は深大寺の三昧所にあり、鉦は調布市郷土博物館に保管されている。また、この地蔵菩薩像は長い間頭部を欠損していたが、昭和六十二年六月、地元の有志たちによって修復された。  昭和六十二年八月六日 調布市教育委員会」

1987年(昭和62年)の修復から36年。地蔵様はとても穏やかなお顔でした。

これにて柴崎駅【駅ぶら】は終了。柴崎駅から新宿駅に戻る時に大好きな緑の電車が来たのでこれを最後にアップします。

※2023年6月撮影

次回は柴崎駅から国領駅の前面展望です。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)