※2023年8月撮影

トップ画像は、「砂土地蔵尊」から「百草園通り」を「京王百草園」に向かっています。軽い登り坂。

右に曲がると坂が少しキツくなって直線を上がります。

ADVERTISEMENT

※2023年8月撮影

直線部の終わり、左側に「三沢砂土緑地」がありますが、フェンスは施錠してあって入れません。横に「日野市公園緑政課」の「三沢砂土緑地」案内板があります。

※2023年8月撮影

案内板の内容は、以下です。

「緑地前の百草園登り口に地蔵堂がある。(筆者注:前回見た東光寺跡地蔵堂)

その堂の背後地は、東光寺の跡地であり、東光寺は三沢医王寺(明治39年高幡山金剛寺に合寺された)の末寺であり、山号は砂土山としたが、明治6年廃仏毀釈のあおりを受けて廃寺となった。

寺の南方境の山麓一帯は、多摩丘陵の各地に露出する平山砂層で、東光寺の山号「砂土山」もこれに由来する。

平成8年 日野市公園緑政課」

「百草園通り」は右にカーブ。その角にこんな看板。「あとひといき 旧松連坂」と書かれていますが、実はここからの坂道がキツいのです。(笑)

※2023年8月撮影

余談ですが「自転車愛好家」の方々の間ではこの急坂は有名な様で「百草園 坂道」でネット検索すると沢山のサイトがあります。登攀動画を載せている愛好家も複数いらっしゃいますので、興味のある方はご覧ください。

また看板があります。「あと130m」とありますが、ここからが凄いんです。「斜度20度」を越える急坂が連続します。

※2023年8月撮影

ちなみに「あと130m看板」の前から来し方をふり返っています。突き当たりが「あとひといき」の地点。十分キツい坂ですね。

※2023年8月撮影

では「斜度20度」を越えるという急坂を登ってゆきます。

※2023年8月撮影

もう延々とこんな坂です。日常の運動不足、肥満を深く反省しますが・・・。

※2023年8月撮影

爺がヘロヘロになりながら登っている横を買物袋を持った地元の方(と思われます)が、涼しい顔で抜いて行かれました。年齢は筆者よりも上に見えました。脚の筋肉が凄いのが分かりました。日常的にこの急坂を登り降りしていれば、そりゃ、メッチャ鍛えられますよ。しかし、豪雨や降雪の時は慣れていてもちょっと躊躇(ちゅうちょ)するかも。

※2023年8月撮影

次のコーナーを曲がれば「京王百草園」まではすぐです。たぶんこの辺りが最大斜度かもしれません。

※2023年8月撮影

コーナーを曲がって最後の坂。平坦になる部分に「百草園」の出入口があります。諸説ありますが、地蔵堂から「百草園」出入口までの高度差は43~47mといった辺りです。ビルで換算すれば、14~16階を登ってくる感じです。

※2023年8月撮影

筆者は「百草園」に数度来ていて、この坂もその度に登っています。キツいことは分かっていたので新調したスニーカーで足下をかためてきました。それに「百草園」の中で「見晴台」までの登攀路も場所によってはハンパない坂と悪路なのです。

足腰に自信のない方には「聖蹟桜ヶ丘駅」あるいは「高幡不動駅」からのタクシー利用を「京王百草園」のアクセスでも案内されています。

次回は「京王百草園」を散策します。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)