石段は74段ありました【駅ぶら】06京王電鉄305 相模原線25
※2023年11月撮影
トップ画像は「京王よみうりランド駅」の東、「相模原線」の南側「穴澤天神社」の「一ノ鳥居」。
さて、この石段を登ります。
※2023年11月撮影
数えながら登りました。74段目で上の道にでました。
正面に「郷社穴澤天神社」の石塔。
※2023年11月撮影
稲城市による案内がありました。かなり読み難いです。
※2023年11月撮影
記載内容は以下です。
「穴澤天神社 筆塚・獅子舞
当社の主祭神は、少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)をお祀りした社である。創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年社殿を改修し、菅原道真公を合祀する。例大祭は毎年8月25日で、当日は神職山本家に伝わる、武蔵流の指定文化財、江戸の里神楽が奉奏され、又、三頭の獅子と天狗により、神社入口の石段を舞いながら勇壮に登る、市指定の獅子舞が奉納される。
境内には江戸時代の終わり頃に、筆学を業とした原田金陵の功績をたたえて建てられた、市指定文化財の筆塚がある。現在の社殿は昭和61年12月に修復した。」
孝安天皇4年は、半ば神話時代ですが、紀元前4世紀前半頃と考えれば良い様です。日本では弥生時台中期が始まったあたり、ギリシャではソクラテスやプラトンの時代です。
境内社左は「神明神社」右は「山王神社」。
※2023年11月撮影
「二ノ鳥居」があります。
※2023年11月撮影
自動車が駐まっていますね。
※2023年11月撮影
参道を進みます。
※2023年11月撮影
「穴澤天神社社務所」による「穴澤天神社略誌」があります。
※2023年11月撮影
この内容は、
「孝安天皇4年の創建にして、主祭神は少彦名命を御祀りした社でこの命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神か、健康増進の神として、又、国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。
天正18年(1590)に社殿を再建し元禄7年(1694)社殿の造営が行われ、その時菅原道真公を合祀され、公は古くより文学の神として親しまれ、広く仰ぎ祀られております。
大正7年(1918)国安神社 大己貴命(大国主命)を合祀、縁結、開運の紙として以後崇敬されており、境内三澤川右岸沿いに、横穴巌窟がありましたが、昔の巌窟は崩れ、現在の洞穴は二度目ですがこれがすなわち穴澤の起源であります。この洞窟内には元石仏の安置跡も残っており、明治4年神仏分離の際、石仏像は当時別当職であった威光寺に移されました。
延喜式内神明帳所載(延喜5年、905年撰上)に記されてる古社で多摩八社の内一社であり、明治6年郷社に列せられました。
主な祭日と神事 〈後略〉」
先に見た「稲城市」の案内と同じ内容ですね。
神楽殿。
※2023年11月撮影
台の上に並べられていました。風鈴が綺麗です。「クリア御朱印」はすごく斬新。
※2023年11月撮影
「花守り」もとても綺麗です。
※2023年11月撮影
まだ神様にご挨拶していません。それに「境内三澤川右岸沿いに、横穴」と書かれている場所にもお詣りします。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)