※2023年12月撮影

トップ画像は「パルテノン多摩」の東にある「落合白山神社」の鳥居。・・・どうやらコチラは神社の正面ではないです。

鳥居の扁額は「白山神社」です。

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※2023年12月撮影

社殿の背後は「多摩丘陵」のかつての姿を思わせる森になっています。

※2023年12月撮影

境内は広いです。正面に鳥居が見えるので、アチラが神社の正面です。

※2023年12月撮影

こちらが正面の鳥居。木製です。

※2023年12月撮影

脇に神聖であることを示す「紙垂(しで)」のまかれた大木。「御神木」でしょうか。

※2023年12月撮影

神社正面の石段を下りて道路から。

※2023年12月撮影

左の神社の案内には以下の記載。

「記

当白山神社創建の年代は詳(つまびらか)ではありませんが、御神体として祀られている木造の神像七躯は遠く平安時代(1180)に溯る作と評されて居ります。

 

古い時代より神前において五穀豊穣・家運の隆昌・子孫の繁栄が祈願されていたものであることが理解されます。

近代に入りましては江戸時代の初期元和4年(1618)霜月十日と録された当社の棟札には柚木領落合村を支配していた八王子代官小宮山八兵衛助為が大檀那となって東福寺別当僧圓能に村人が助力して加賀・白山大権現の神霊を勧請した次第が明らかにされて居ります。

新編武蔵風土記稿に「古(いにしえ)は社司蓮善坊と云(ゆう)山伏なりしが慶長の比(ころ)、東福寺この地に移りしとぞ東福寺は昔 上落合堀合堰と云所にありといへり、今白山神社の西に在り」と伝えて居ります。

唐木田・中組・山王下・青木葉・上ノ根を云う五字の鎮守として祀られて居ります。

この地は府中より鎌倉に通じる相模道に面した静かなたたずまいではありますが慶安(1648)年中に御朱印十石を賜わるなど歴史的意義を秘める神社であった訳です。

今回の造営に当たりまして社殿は白山大権現の象徴である本殿・拝殿一体構造の権現造りです。

これはニュータウンと云う最新の景観に古い様式を巧に用いて神社の尊厳と祖先からの伝承を調和させようと意図したものです。

祭神はイザナギ・イザナミの二神である。

昭和58年9月吉日    落合白山神社」

40年前、1983年(昭和58年)に記されたものです。筆者は、社会人になって関西の映像制作会社に就職した年でした。一人で新大阪のマンション暮らし。楽しかったけどエアコン買うお金が無くて暑い夏でした。(笑)

40段の石段を上がります。

※2023年12月撮影

左の手水舎で手口を浄めて、

※2023年12月撮影

神様にご挨拶しました。

※2023年12月撮影

扁額。

※2023年12月撮影

これが「白山大権現の象徴である本殿・拝殿一体構造の権現造り」です。

※2023年12月撮影

では、清浄な神社を辞して喧噪の街に戻ります。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)