※2023年12月撮影

トップ画像は「多摩境駅」の南西「多摩ニュータウン通り」の西側にある「田端環状積石遺構(ストーンサークル)」の入口。

けっこう広い空間です。

※2023年12月撮影

入口には「町田市教育委員会」による案内板。

※2023年12月撮影

その記載内容は以下です。

「田端・田端東遺跡

所在 町田市小山町3113-2番地

境川に面した丘陵のふもとにひろがる縄文時代の遺跡でムラ、お墓、お祭りをしたと考えられる環状積石遺構は1971年に東京都史跡に指定されました。約5,000年前に竪穴住居からなる大きなムラがつくられ、約3,000年前には墓地として使われました。その後、墓地の上に環状積石遺構がつくられ約2,800年前まで使われたと考えられます。現在、史跡は埋め戻しによって保護され、環状積石遺構のレプリカが展示されています。

2015年(平成27年)3月 設置     町田市教育委員会」

道がある所を進みます。

※2023年12月撮影

ここにも「町田市教育委員会」による案内板。

入口の案内板とほぼ同じ内容ですが、さらに詳細な図面が掲載されています。興味のある方は是非現場でじっくりご覧になる事をお薦めします。

※2023年12月撮影

環状積石遺構のレプリカが見えて来ました。

※2023年12月撮影

こちらにも案内板が設置されています。

※2023年12月撮影

「町田市教育委員会」の案内板です。

※2023年12月撮影

一部を抜粋します。

この環状積石遺構は、大小の自然礫を帯状に積上げ、東西約9メートルの長軸、南北約7メートルの楕円形。長軸上に富士山が見える。冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽を観測できる。積石の周囲には周石墓7基、土壙墓(どこうぼ)25基、組石6基などがある。積石の内部からは日常用具以外の特殊な遺物が多数発見されていてこの地域一帯に居住した集団の宗教的な場であったと考えられている。

レプリカとは言え、ついつい見とれてしまいます。

※2023年12月撮影

縄文時代の宗教がどの様なものであったのか知る由もありませんが、いずれにしても死者たちを祀った、不思議な眺めです。

※2023年12月撮影

北側には「都史跡 町田市田端環状積石遺構」の石塔がありました。

※2023年12月撮影

環状積石遺構も見えます。こちらも出入口になっています。

※2023年12月撮影

筆者に環状積石遺構の宗教的なパワーはなかなかのモノでした。ここまで不思議な気分になるとは思いませんでした。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)