逗子駅上りホーム1番線の真ん中辺りに妙な柱が立っています。

横に説明板があるので読んでみました。

   旧逗子こ線橋の柱について

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旧逗子こ線橋は、逗子駅バリアフリー化工事の完成により不要となり、平成19年9月に撤去しました。
 当時の資料によれば、建設は明治32年で、国府津保線事務所から工事伺いが出され、逓信省の鉄道局長、鉄道作業局長を通じて次官、大臣の決裁を受け、工期50日、工事費3、238円40銭で下り線ホームの待合室、上り線ホームのこ線橋口と本屋間の接続部分の上屋も含めて建設されました。
 こ線橋の構造は、錬鉄、鋼鉄を使用したスパン35ft.11in.1/2(10.96m)のラチス桁で、屋根は鉄板葺き、階段と通路は板張り、ガラス入りの明かり取り窓が配置してありました。柱は鋳鉄製で、柱下部の刻印のとおり、当時の逓信省鉄道作業局新橋工場で製作されたものを使用しました。
 新橋工場で製作されたこ線橋の柱としては、現時点で日本最古のものであり、建設当時から撤去まで同一の駅で使用され続けたこ線橋としても、日本最古のものです。
 横須賀線の開業は、明治22年であり、開業間もない当時の鉄道建造物の技術を伝える歴史的に貴重な柱です。

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こ線橋(跨線橋)とは「鉄道線路を渡る橋」ですが、逗子駅では2007年(平成19年)に横須賀駅寄りにエスカレーターとエレベーターの付いたバリアフリーの新橋上通路が完成しています。つまりこ線橋のデラックスなものですね。その工事で撤去された旧こ線橋の柱が展示保存されているのです。

柱の下の部分を見ると「新橋工場・・・」「鐵道局・・・」「明治三十二・・・」と辛うじて読めます。

明治22年(1889年)に横須賀線は開通したのですねぇ、と妙な感心をしてしまいましたが。

筆者が学生だった時代、横須賀線は大船から先、鎌倉方面は車内に灰皿があり喫煙できたのです。小津安二郎監督の映画を見ていると横須賀線の中でタバコを喫いながら端正な居住まいで会話をするシーンがよく出てきます。喫煙の是非とは無関係に、単に風景として、懐かしいなぁ、と古い柱を見ながら思ったのでした。

(写真・記事/住田至朗)